松の雪はらへば月は一つきり 江渡華子

 払わなくとも、物質的には月は一つに限っているのだが、そういうことを言いたい訳ではないのだ。
月が一つきりであるという、どこか美学的な認識を言っているのだと思う。長谷川櫂さんの評論『古池に蛙は飛びこんだか』(花神社2005₋6)は、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の水の音について、本来群生である蛙は、「ぼちゃぼちゃぼちゃ」と複数の水の音なのであるが、なぜ「ぽちゃん」という一つの音を想起するのかと問う。まさしく、このような美意識が、この句の根底には流れているのである。

(2016-1 あをあを)