2016年5月27日2016年5月19日 若水でありし水なり花へ注ぐ 野口る理 ありがたいものほど処理に困るものはない。というのも、口を漱いだり、雑煮にしたりするのは「若水」であって、「若水でありし水」ではない。「若水でありし水」は、もっと時間がたって、松過ぎ頃だろうか。何か息づいた生活が帰ってきてからのように思える。 (スピカ「元旦」2016-1)より。