若水でありし水なり花へ注ぐ   野口る理

 ありがたいものほど処理に困るものはない。というのも、口を漱いだり、雑煮にしたりするのは「若水」であって、「若水でありし水」ではない。「若水でありし水」は、もっと時間がたって、松過ぎ頃だろうか。何か息づいた生活が帰ってきてからのように思える。

(スピカ「元旦」2016-1)より。