墓石に映つてゐるは夏蜜柑   岸本尚毅

夏蜜柑が映りこむほどだから、まだ新しく、美しい墓石だ。

墓地の灰色がちな景色の中に、夏蜜柑の黄色が、さわやかに目にとびこんでくる。

「夏蜜柑が映っている」という事実を見つけていいとめることで、墓もまた、ただの石であるということが、シンプルで快い。

『シリーズ自句自解ベスト100 岸本尚毅』(ふらんす堂・2011年7月)より。岸本尚毅の創作工房が、一字一句まで明かされる、貴重な本である。以下は、掲句の自解。

  

墓地は好きな吟行地である。参拝者以外は入ってはいけないのだが、墓に囲まれ、静かに句を案じていると、本当に心が落ち着く。/新しい墓石には、空や雲や花や、いろいろな物が映る。どの角度から見れば何が映るだろうかと思いつつ、墓石のまわりを回る。そのとき、夏蜜柑が墓石に映った。

「墓地は好きな吟行地」というところも、墓石という畏怖すべきものをモノとして句に仕立てているところも、いってみれば不謹慎である。それは、倫理より、道徳より、社会通念より、俳句を優先しているから、そう見えるわけで、岸本さんは、なんのことはない、一貫して、俳句原理主義者なのだ。この「不謹慎力」のパワーは、俳句が本来もっていた力強さという気がする。

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