さっきまでピアノの部屋の蝶だった  木田智美

過去形。今は、青空の中へ戻っていった蝶が、ついさっきまで、ピアノの部屋の中に迷い込んで飛んでいた。
たぶんそれは一瞬の出来事。もう忘れてしまいそうな残像を、過去形で言い止めた。ピアノの部屋は、蝶が来るまでも出ていったあとも、窓があいていて、静かにカーテンが風に揺れている。

「ピアノの部屋」という呼び方は、居間とか寝室とかの住宅用語ではなく、私たちが生活の中で呼ぶ〈その部屋〉の名称だ。ピアノの練習をするときに入る、ピアノの部屋は、どこか特別な空間。蝶の来訪が、その特別感をさらに印象付ける。

「奎」2号(2017年6月)より。
同誌巻頭の、友岡子郷氏のインタビューが面白い。彼の『少年少女のみなさんに 俳句とお話』(本阿弥書店)は、やさしい語り口で、言葉の世界の中の俳句について、視野を広く表現した本で、私も好きな一冊。おりおり示される例が、とてもユニークなのだ。今回のインタビューでも、教え子が〈ピアノの先生じゃなく、ピアニストになりたい〉と語った言葉に寄せて、「わたしは、俳句の先生ではなく、俳人でいたい」と。俳人にとって作家性とは、という質問には「難しいことを考えずに、概ね俳句のことを考え続けたり、俳句を作ろうと考え続ける人が俳人ですね(略)難しく考えないで、追い求める人です」と答えている。

考え続けること。シンプルな答えに、深くうなずく。