翡翠を見ざりしひとり風光る   満田春日

翡翠は、とても美しい鳥だが、なかなか姿を見せてくれない。よく吟行をする公園に、翡翠がとまるための杭が用意されていて、シーズンには、望遠レンズを構えるアマチュアカメラマンが、何人も待ちぶせている。

一行の、ほかのみんなは、翡翠の姿を見たのだろう。遅れてまなざしを向けても、そこにはただ、翡翠がいた空間が残っているばかり。目を凝らせば、通りぬける風が光る。翡翠を見ることのできなかった小さな喪失感と、すでに翡翠の居ない世界の眩しさが相まって、切ないながらも快い気分にさせてくれる句だ。

創刊五周年を記念して編まれた「はるもにあ 歳時記風アンソロジー」(はるもにあ)より。ほかに「フラスコの沸騰の音初嵐  黒田はる江」「くはがたの木と少年の囁けり  船山冬木」「洗顔のあとのダリヤを眩しめる  春日」。

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