実際には、蟇がそこにいて、そのしわくちゃの姿から、脳を思ったほうが自然だ。しかし、この句のように、逆に、脳のほうが蟇に似ていると言いなすことで、自分の中にある脳が、小さくてしわくちゃで醜いもののように思えて、切実なきもちになる。
脳が蟇に似ていたとしたら、たしかに「おかし」くて「さみしい」。「おかしいよ」「さみしいよ」と、呼びかけを繰り返しているところも、「おかし」くて「さみしい」。
休刊となった「俳句研究」(角川マガジンズ)の最終号、2011年秋の号「自註34句 鈴木明」より。
俳句の型の上に、自我が、みよーんとアメーバ状にのびていくような、不思議な言語感覚の持ち主。読めてよかった。ほか、自註から俳句いくつか。
春菜刻む母のまわりの空気が好き
夏草やキャラメル状に溶けた兵
にわとりに質問する子春の風
櫃に米あるごとく友に母ありき
沈艦開陽遺物中くるみ割り一点