貝の身のいろの雲あり草を引く  中村堯子

「草を引く」は夏の季語。昼間は暑いから、朝方か夕暮れだろう。「合歓咲きて夕べ朝と相似たり」(正木浩一『槇』)という句もあるように、朝と夕べの光景は、よく似ている。空に浮かぶ雲が「貝の身のいろ」になる時間は、やはり、あけぼのか、もしくは夕焼けのあとのしずかな宵。太陽のひかりをほのぼのとうけて、ももいろに発光する雲は、美しいけれど、「貝の身」という、なまなましくて雲の形容としてはちょっとへんてこなものにたとえられていることで、「きれいだなあ」という感情がわくよりも、その色を思い浮かべて、一句の光景を再現するキャンバスに、色を載せていく作業をすすめようという気になる。
「草を引く」もいい。ぼやぼやとももいろに包まれた世界の中で、一点としての生きる私が、錨のように、つよくさみしく座っている。

第三句集『ショートノウズ・ガー』(角川書店、2011年11月)より。句集名は、淡水に棲む古代魚の名前からとったとのこと。「古代魚は他の魚たちより深い所で泳ぎ、ゆっくりとマイペースを守って暮らすそうです。憧れの境地です。ショートノウズ(短い鼻)も俳句の短さを連想させて、気に入りました」(あとがき)。そのほか、好きだった句いくつか。

あらたまの鍋持ち上げる力かな
ぐんにやりと鶏肉返すチューリップ
二月のひかり鳥肌の花嫁に
青柿に近づく鼻の脂かな
捨てきれぬもの一月の一箱に