いつぽんの冬木に待たれゐると思へ   長谷川櫂

冬の冷たい風に吹かれながら、私を待っている木。
何本もあるのではなく「いつぽん」だからこそ、不思議と現実的であり愛しい。
まだ見ぬ木への思いが募り、外で木を見れば、この木かしらとドキドキしたりする。
・・・いや、本当は木は待っていたりはしない。これは単純な擬人法で、木は木だ。
待っていると思わなければただの木で、待たれることもないただの私でしかない。
この「思へ」という命令形に、切実な感情が込められている。

『現代俳句ニューウェイブ』(立風書房、1990)より。