避暑に来て君書を読まず行李の書   河東碧梧桐

せっかくの避暑地なのに!感がまぶしい。最後に「!」が付くようだ。
「避暑」の過ごし方は人それぞれであるのだろうが、
親しい君は書も読まず、夏の陽射しの中を走り回っている(もしくは、ただ何もせずごろごろしている)。
きっと、君のほうは君のほうで、避暑に来て君書を読みぬ行李の書(!)、と思っているだろう。
この感じは、せっかくのお休みなのに、晴れの日なのに、再会なのに、早起きなのに、などと、
親しい間柄だからこそ共有したい時間の使い方(価値観)に違いがあったときの、
驚愕にも似た落胆であり、誰しも少なからず共感するところであろう。
行李にぎっしりと持ってきた本も、取り出されることなく、ひっそりと置かれている涼しさ。

「碧梧桐句集」(『現代日本文學体系19 高濱虚子・河東碧梧桐集』筑摩書房、1968)より。

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