花の下もの食べ合っていて安心  池田澄子

穏やかな時間なのだろう。中七から下五にかけて、少し言いづらい言葉の並び方が、時の流れをゆっくりとしてくれているようだ。

 生きていると当たり前におなかがすくし、おなかがすけば当たり前に食べ物を食べる。そんな当たり前なことにも「生」を実感し、また同時におろおろしている作者は素直だ。

 

安心するとおなかがすくし、その安心したことにも安心する連鎖が生じている。しかし、この句からは、本当に安心している気持ちと、まだ残る不安感が読み取れる。穏やかな時間であればあるほど、突如不安が襲ってくる。穏やかな時間であれば、突如襲ってくる不安も、穏やかな時間が長く続くと襲ってこなくなる。この時間を過ごせることに、作者は幸せを感じながらも、それを当たり前と思わないように戒めているのだろう。作者は来年も同じ花の下で、ごはんを食べあうことに確実さはないと知り、そしてその上でこの空間を、この時間を楽しんでいるのだ。

 

『俳句 6月号』(角川学芸出版、2011)より。

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