五月終はりぬつまらなくなるまへに   島田牙城

五月とはこういう気持ちになるものだ。
初夏の気持ちいい日や大型連休、新生活など、キラキラとしたイメージのある五月だが、
単純に美味しいところ取り、ということを表しただけの句ではない。
からりと晴れ真夏の暑さとなったり、しとしとざーざー雨が降り肌寒い日となったり。(今年は台風も)
新生活が始まり、非日常を日常として受け入れていく時期、つまり慣れていく時期でもある。
おもしろくなってきたところで終わるのではなく、「つまらなくなるまへに」終わるのである。
つまらないと感じる間もないほど、ぎゅうぎゅうな日々だった五月、と読めるだろう。
これからつまらなくなってしまう予感をはらみつつ、
それでも、そのつまらなさの出所でもある余裕への思いを募らせる。

『誤植』(邑書林、2011.2)より。

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