潜りゆく鯨最終電車めく  神野紗希

『光まみれの蜂』には、自在な比喩が随所に見られる。なかでもこの句の比喩は印象的で出色である。

 鯨の胴がゆっくりと水面下へ潜ってゆく。その胴の巨大さと黒光りした質感とは、たしかに鋼鉄の電車に通うものがある。しかし単なる「電車」ではなく、ここでは「最終電車」と一歩踏み込んだ見立てがなされている。この言葉によって、潜ってゆく鯨に一抹の淋しさが漂い、また鯨が消えたあとの何もない水面も想像されて、読後の胸中がしんと静かになる。

 現代の鯨をめぐる状況は複雑である。作者もひとかたならぬ思いを鯨に寄せているのだろう。「最終電車」の比喩の大胆さの奥には、鯨を憐れむようなまた慈しむような静かな眼差しが感じられる。