十薬や朝のホームの灯されて  宿谷晃弘

「俳句」(角川学芸出版)2012年8月号、新鋭20句競詠「涼しき灯」より。

末尾に表題句でもある「涼しき灯重なりあひてさみしき灯」という句もあるが、同じ灯なら掲出句のほうが好きだ。「涼しき灯」の句は、「さみしき」が予定調和。「涼し」という季語の中には、すでに相当数「さみし」が含まれているような気がする。それに対して掲出句は、十薬と朝のホームの灯を、ただそこに置いてある。それだけなのに、ひたひたとさみしい気持ちが押し寄せてくる。朝のホームが「灯されて」いるという発見も面白い。
十薬のひっそりとした咲き方も、まだ夜の空気の残る涼しい朝のホームも、明るくなってきて用をなさなくなりつつある灯も、どこかさみしい。朝なのに、何かぽっかりとなくしたような気持ちになるのは、灯が、もう過ぎ去ってしまった夜の存在を思わせるからだろうか。