「行脚、としをかさね、東武にかへりて」と前書がある。「ともかくもなる」は死ぬということをほのめかす語。東部は江戸。句意は「長旅のあいだどうにか死ぬこともなく、無事に江戸へ戻ってきましたよ。雪をかぶった枯芒のような姿ではあるけれど」といったところだろうか。「雪のかれ尾花がまだ折れて命を失ってしまわないで、雪を載せて堪えている」姿に、老いさらばえてもなお生きているおのれを重ねているわけだ。「ともかくもならでや」とするすると歌い出しながら「雪のかれ尾花」という具象物をバシッと置き、心境を象徴する。言葉の勢いが魅力的な句で「ともかくもならでや」とか「雪のかれ尾花」とか、まさに詩語という感じ。使ってみたくなる。
「北の山」所収。元禄四年冬の作。ここ数日、芭蕉俳句の注釈をまとめる研究書の原稿にかかりきりだった。原稿といっても私は1000句ほどある中の11句分しか担当していない末端の執筆者なのだけれど、専門分野と違うので新鮮であり、大変であり、あらためて山本健吉と加藤楸邨がすごく丁寧に芭蕉を読んでいたことに感服したりと、ともかくも事を終えたのであった。