しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ  藤木清子

光の強い昼。頭の中もぼんやりしている。そんな中届いた「しろい手紙」。それは単に白紙であるというよりも、一枚の清潔な封書の手紙が届いたという感じだろう。「こつん」という音から、手紙が小石のようにちっぽけなものであることが感じられるし、「こつん」はふつう手紙のような柔らかいものよりもっと硬い物質に使うオノマトペなので、光だらけの昼の中で、手紙がひとつの確かな物質として現れたことが感覚される。

藤木清子は新興俳句時代に日野草城の俳誌「旗艦」で活躍した女性俳人。宇多喜代子編著『ひとときの光芒 藤木清子全句集』(沖積舎、2012年10月)より。
あとがきに「昭和十年代初期の俳誌(中略)などから藤木清子の句を書きぬきはじめ、三十年が経ちました。まだ未見の句がないとは言い切れないのですが、一応の区切りとして出版に踏み切ることといたしました」とある。収録の「藤木清子とその周辺」という講演録で、宇多氏が『片山桃史集』を出した際のことを「作品収集と同時に事跡の調べをやらなくてはならぬわけですが、私には機動力がない、コネクションがない、資金がない。ケチケチ暮らしの四苦八苦でなけなしの金子をはたき、句と文をまとめまして(中略)一冊を作りました」と振り返っているように、今回も彼女の私財と労力によって『藤木清子全句集』が出版され、清子の句が“在り続ける”ものとなった。「俳句も隆盛で結構なのですが、こういう仕事が個人の仕事になるというのは、やはり貧しい」と現在の俳句界を省みつつ、片山桃史や藤木清子の句業について丁寧に語り「かつて新興俳句が興った頃、「旗艦」という日野草城の俳誌に藤木清子という女性がいたということ。その周辺には片山桃史や富澤赤黄男がいたということ。なによりもその時代に戦争があったということ。お若い方にはこれだけでも知っていただければと思います」と結んでいる。宇多氏がつねづね口にする「二階の仕事」が、またひとつ形となった。
では、藤木清子の句をいくつか。

こめかみを機関車くろく突きぬける
ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ
針葉樹ひかりわが四肢あたゝかき
けいとうに詩よりしづかな人と対ふ
ピアノが欲しいと少女梅干の種を吐く
元日のそらみづいろに歯をみがく
戦死せり三十二枚の歯をそろへ
戦争と女はべつでありたくなし