大蛸の腕めらめらとあふれけり  兼城雄

蛸の腕がうごめく様子を「めらめら」と表現した例は、これまでにどこを探してもないのではないか。斬新なオノマトペだが、あのしなやかな質感や激しい動きを表現するにはぴったりで、この句を見たのちはこれ以上はないと信じられる力がある。「めらめら」はふつう炎が燃え上がるときに多用するので、炎のようにゆらめき、炎のような赤を秘めている蛸である、というところまで描写できる。そして、「めらめら」の影に隠れているが、案外「あふれけり」がうまい。突飛なオノマトペや比喩、取り合わせを一句に必然のものとするには、その箇所以外がいかに目立つパーツを一句につなぎとめるかというところにかかっているといってもいい。「あふれけり」とすることで、腕がどのように見えているのか、「めらめらと」だけではわからなかった部分が一句に描きこまれる。蛸の躍動感が余すところなく、どアップで切り取られた一句だ。

角川学芸出版「俳句」2012年11月号、角川俳句賞候補作品「椿落つ」より。詩情ゆたかな句群に惹かれつつ、長谷川氏が「餅を食ふ顔のまなかに力あり」は「鼻のほうがいい」と指摘したように、あと一歩迫れそうな予感が残る句がちらほら。でも、オノマトペが独特で面白い。大きな景色をとらえる力も備えている。特に惹かれたのは次のような句。

白鳥のこゑ雨雲を明るくす
どこどこと熱湯滾る春のくれ
かはほりや湖上の闇に濁りなし
待春や塩つぶ光るオリーブ油
空間に時間ぶつかる蟾蜍