新しい日記を買ってきた。家では十二歳の老猫が待っている。十二年間の日記には、猫をもらってきたときのこと、まだ子猫だったときのこと、跳ね回っていたやんちゃなときのこと、一緒に過ごしてきたあれこれがひとつひとつ書き込まれているのだろう。もうそんなに駆け回らなくなり、ソファーでごろごろしていることが多くなったけれど、十二年目もきっとまた、十二年目なりのいろいろがあるのだ。生き物と寄り添い生きることの愛と切なさとがたっぷり詰まった一句。
第三句集『迦音』(角川学芸出版、2012年9月)より。世界で起こるあれこれに対する自身の驚き喜びかなしみに言葉が馴染んで、口を開けば彼女の感覚が彼女の言葉として表れているような、そんな躍動感のある句たち。以下、中でも惹かれた句。ちょっと多くなってしまった。
落椿食ひたる鹿の口あえか
雨を咲く昼顔鵜籠編みゐたり
水替へし水餅母の死は本当
安吾忌や石塀すりし革ジャンパー
春草や眼鏡はづせば我くもる
涼風の勿体なくて五指ひらく
春もやうやう黒鳥の雛けむりいろ
わつと出し子蛙けふは何曜日
子遍路のみじかき杖も影をもつ
鬼女の面とれば少年秋の風
ぽくぽくと湯のわく山や若菜摘
春なれや日記燃やせば青煙
抱きとめてこの子どこの子花筵
後朝や夏柑ひとつ湾に浮く
座布団の紺こそよけれ川開
ハミングに林檎むきをり原節子
広島や揚羽とまりし水たまり
冬帽子東尋坊にくれてやる
泣いている子に毬がくる菫かな