第三者の視線だろう。見るために使う部位は目だけであることは当たり前のことなのに、あえて「目だけ」という表現をしていることで、通常よりもさらに集中してその乳を見ていることがわかる。そこに存在する感情とは、何なのだろうか。「哺ます」ということで、その乳には赤ん坊が吸い付いているのだが、その行動に対する憧憬だろうか。エロさというよりは、絶対的な信頼を母親に寄せている、その関係性から目をそらすことができず、じっと見ているという風にとりたい。
「暦注」 (週刊俳句294号2012年12月9日)より。
第三者の視線だろう。見るために使う部位は目だけであることは当たり前のことなのに、あえて「目だけ」という表現をしていることで、通常よりもさらに集中してその乳を見ていることがわかる。そこに存在する感情とは、何なのだろうか。「哺ます」ということで、その乳には赤ん坊が吸い付いているのだが、その行動に対する憧憬だろうか。エロさというよりは、絶対的な信頼を母親に寄せている、その関係性から目をそらすことができず、じっと見ているという風にとりたい。
「暦注」 (週刊俳句294号2012年12月9日)より。