日向ぼこをしながら読書をしている。とっても穏やかな風景だ。
しかし、ん?と思う。「ましろくひかる本」を読んでいるのは、作者なのか、ほかの人なのか。
真白く光っているようでは、実際には読めないわけで。
私は、本を開いた人がいて、それを見たこの句の主体がいて、その主体は何が書いてある本かわからないけど、本を読んでいる人にはわかる。その本を読んでいる人は、ほかの人でもいいし、作者(=主体)でもいい。本を読みながら、一方で自分を客観的に見れば「ましろくひかる本」を読んでいるのだ、という把握でもかまわない。
本の内容が分かっている人と、それが分からないけれど「ましろくひかる本」にはきっといいことが書かれているのだと信じたい主体がいる、そうゆるやかに読みたい。
『朝日文庫 現代俳句の世界 富澤赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉集』(朝日新聞社・昭和六十年五月)拾遺より。