風花や拝まれてゐる石ひとつ   遠山陽子

お地蔵さんも、墓も、碑も、その多くが「石」で出来ている。
ただの「石」に顔や字を彫ることによって、それは特別な存在になるのである。
それどころか、なにも施さずとも、その石に思い入れがあればもうそれは特別なのだ。
それでも、その価値を共有しないものにとっては、「石」はただの「石」でしかない。
「拝まれてゐる」という石が主体とみる言葉づかいに、「石」と言いつつ気遣いが感じられる。
「風花」の軽やかさが、この拝む気持ちを明るくみせている。

「鶴の羽根」(『俳句 2月号』角川学芸出版、2013)より。