【72】山々は 燃えて道志の 河細く     遠藤光正

遠藤光正『私の心象風景』(私家版、一九九三)の一句。巻末の年譜によると遠藤は一九二九年東京(東京府下豊多摩郡戸塚町)生まれ。神奈川で県立高校の教員をする傍ら、東洋大学や大東文化大学で講師を務め、その後も聖徳学園短大、立正大学大学院、二松学舎大で教鞭を執っている。日本の古典文学、漢文学の研究に携わった人物でもある。
本書は遠藤がかつての自分の作品をまとめた詩歌集だ。前書には次の言葉がある。

 いま、これを改めて読み返してみると、嘗て私が山村の教師であった二十二歳の頃から、結婚する直前の多情多感な若かりし青春時代の詩篇であった。そこで人生の一時期をしめすこの詩歌を私の思い出の記として残すことにしたのである。(略)齢三十を過ぎてからの私は詩を書かない。書けなかったのではなく、書かなかったのである。私の親族の一人に詩をなりわいとする者がいて、私の詩を評して曰く、「光正君の詩は案山子に錦を着せたようなもの」と酷評したからである。すなわち、言葉は奇麗に飾ってもポエム・スピリット(詩心)がみられないというのである。この一言に因って私は詩筆を断った。それ以後の詩はこの詩歌集には殆ど無い。

本書には自由詩のほかに漢詩、短歌、俳句が収録されている。詩はおおよそ三〇歳までのものであるようだが、短歌は五〇歳以降に詠んだものであり、俳句も「入学によろこぶ孫や老いし吾」など、制作年代は明確でないながらも内容から推測する限り三〇歳を過ぎてからの作と思われるものを一部に含んでいる。
表題句は「山村から」と題された八句の内の一句である。八句の末尾に「一九五六・三」とあることから、二七歳での作ということがわかる。二二歳で神奈川県立津久井高等学校に新任教員としてやってきた遠藤も、当時はすでに教員生活五年目を迎えていた。「道志」は津久井高校近くを流れる道志川のこと。津久井高校は北に高尾山、東に津久井湖、西に相模湖というように、相模原市と八王子市との境近くの山々に囲まれた地にある。
遠藤の詩には山を詠ったものが多い。

   晩秋のおもい
 吾が四肢にからまるものがある
 もつれては炎々と燃えあがる。
何時までも此処に住まなければならないかという嘆きと
 何時までも此処に住みたいと願うこころが―。
 山々は紅に燃え
 あまりにも古びた夢は
 遂に大空の彼方へ煙となった。
西は山
東も山
川は一抹のうねりとなって
私の情感を投影させる。

この詩に見られる「山」は表題句で「山々は 燃えて」と詠まれた山のことであろう。山村での教員生活にあって遠藤は密かに鬱屈した思いを抱えていたようだ。

  ゆめ
墨を含ませた筆で
白紙に「夢」とかいた
あまりにも古びた夢を棄てかねて―。

晩秋の「山」は「古びた夢」の再燃を思わせるように赤く燃えるが、しかし「東」も「西」も「山」に囲まれたこの地ではその夢も煙のごとく消え去ってしまう。

  山
山は
重い抵抗
静かな時間
そして、遠い童話の起源。

「山」は遠藤にとって自らに圧し掛かるものでありながら、一方では郷愁めいたものを感じさせる存在だったのであろうか。だが、それならば、「私の情感を投影させる」と詠われた「川」はどうなのだろう。
津久井高校教員時代、遠藤は「道志川(一)」という詩を書いている。

この川の水はあまりにも蒼すぎた
夕映えのする山の緑よりも濃く
その静かな流れは
私の心よりもおだやかだった
すべてのものを溶かすばかりに青黒く
(それは油絵具のそれにも似ていた)
痩せおとろえた肉体を浸すのには
あまりにも深い色をたたえていた。
を大きくひらいて
胸いっぱいにふくらませたオゾンの香りは
(それはすこし塩からかったが―)
私の血を狂わせ
素早く白い飛沫をあげていた。

清く穏やかなもの、そして自らを回復させてくれるものとしての「川」のイメージがここにはある。遠藤には「道志川(二)」という詩もあるが、そこでも「息一つ、胸に深く/オゾンの香―/かぐわしき浄化の姿よ」と詠われている。だがこの穏やかな「川」の姿には「一抹のうねりとなって」と詠われた「川」とは異なる印象も受ける。遠藤は「その静かな流れは/私の心よりもおだやかだった」と詠い、一方で「川は一抹のうねりとなって/私の情感を投影させる」と詠っているのだった。とすれば、穏やかな「川」よりも「うねり」を伴う「川」こそ遠藤にとって自らの「情感」を投影すべき川なのであろうか。
では遠藤の「情感」とはいかなるものであったのか。本書には田舎の若者を描いた短い散文詩も収録されている。

   秋
 高校時代、一緒に勉強した栄二は苦学しながら大学に通っているとか、B村のお君さんは八王子の洋裁学校に行っているとか。良太はつくづく田舎に居るのがいやになった。「俺も東京に行く、そして大学に行くんだ」やけにつぶやく良太の背負籠には、薄紫の桔梗花が独りうなづいていた。

鬱屈した思いを抱える良太の姿には「何時までも此処に住まなければならないかという嘆きと/何時までも此処に住みたいと願うこころ」の狭間で葛藤する遠藤の姿が投影されているようにみえる。そしてまた、このような良太の思いを受けとめる「薄紫の桔梗花」は、「あまりにも蒼すぎ」て「あまりにも深い色をたたえ」ている道志川とどこか似てはいるようにも思われるのである。
話を表題句に戻そう。この句に詠まれたのが「山」ではなく「山々」であったのは、山に周囲を囲まれた状況において、重苦しさと郷愁との入りまじった思いを抱えながら遠藤が生きていたことを証であろう。その「山々」があかあかと紅葉するとき、あるいは「何時までも此処に住まなければならないかという嘆きと/何時までも此処に住みたいと願うこころ」とは、遠藤の内にあっていっそう激しくぶつかりあったかもしれない。そのように考えると、「山々」から流れ来る「河」が「河細く」と詠まれていることが何かのっぴきならないことにも見えてくる。この句の「河細く」とは、実際の道志川の流れの細さをこのように詠んだものであるかもしれない。だが、この「細」さには「山々」を抜け出そうとする者の切ない思いが込められてはいなかったか。遠藤が「川は一抹のうねりとなって」と詠い「素早く白い飛沫をあげていた」と詠ったように、道志川の「細」さはまた、その流れの激しさと結びついている。とすれば、この句に寂しい情景のみを見るのは違うだろう。