【97】秋晴やロンドンをふと遠しと思う     作者不詳

中村汀女『婦人歳時記』(実業之日本社、昭和三一)の一句。
本書はその副題に「現代俳句の手びき」とある通り、女性向けの俳句の手引書である。といっても単なるハウツー本というわけではなく、「汀女自句自解」に始まり「俳句のつくり方 ―とくに婦人のために―」「俳句随想」「現代婦人俳句選評」「わが心の旅」と続いていく。このうち作句や俳句の鑑賞のしかたについて正面から説いているのは「俳句のつくり方」「俳句随想」の二つで、それ以外は汀女自身や他の女性の俳句、あるいは汀女の来し方を語ったものとなっている。手引書でありながら手引きらしい部分が半分にも満たないというのは意外な感じもするが、こうした構成にこそ汀女の俳句観が反映されているように思われる。

自分のふれたこと、感じたことを、偽らず、まとめて、それが人にもそのまま通じるよろこび。真実には真実のひびきが伝わりあううれしさ、これが私たちの信じ目指す俳句の道である。

汀女は本書で俳句を「心の記録」であるとも述べているが、ここに語られている楽天的とさえ思える他者への信頼感は汀女の俳句の根底をなすものであろう。むろん「自分のふれたこと、感じたことを、偽らず、まとめて、それが人にもそのまま通じるよろこび」を得るためには修練が必要であって、汀女は俳句は誰にも作れるものであることを強調しながらも、一方では作句における修練の重要性も説いている。

 作句には必ず、人の教えを乞うべきで、尊敬する先輩の選を受け、批評を受けて、完きものにしたいと思います。一字のちがい、一言の入れ替えで、広くも深くもなる俳句のたのしさは何ともいえません。そんな言葉の工夫を、苦労というのは、もったいない話で、あれこれと工夫を重ねて、もっとも適当な言葉を用い、そして、誰にも美しく快くひびく十七字の調べにする。その上に、それは誰のものでもない、自分ひとりから生まれ、自分が創り出したものだという幸福感をどなたにも味っていただきたいと思うのでありますが、そうであればこそ、一層先輩の批判添削を待って、いい道を歩かねばいけません。

いわば、自らの言わんとすることは必ずや他者に「そのまま通じる」はずだという前提のもとに、その都度最良の一句を詠んでいくという姿勢こそが汀女にとっての好ましい作句姿勢なのである。本書において、汀女の俳句やその人生が頻りに語られ、また他の女性の俳句の鑑賞に多くのページを割いているのは、誰しも俳句を詠むときには必ず周囲に他者がおり、その他者と手を携えながら進むのが汀女なりの「俳句の道」であるということを示唆しているように思われる。汀女が先の一文で「私の」ではなく「私たちの信じ目指す俳句の道である」と記しているは決して誤りではあるまい。
換言すれば、汀女にとって俳句を詠むということは他者との関係のなかで詠むということであったともいえるが、このように他者との関係のなかに身を置くことに自覚的であろうとする汀女の作句姿勢は、汀女がなによりも自らの人生のなかから経験的に学びとったものではなかったか。汀女は官僚の夫に従って日本各地を転々としつつ、ときには俳句を中断さえしながら良き妻、良き母として生きた女性であった。実際、本書末尾で「句を作ってきたことに後悔はないと思っているけれど、ただ子供たちに、済まない気がする」と書き添えないでは気が済まない程度には家庭の人であったのである。川名大はそのような汀女を「作家は所与の社会的、身分的な環境の中で、所与の資質を充分に発揮すればよい」という志賀直哉の言葉をもって評したが(『挑発する俳句 癒す俳句』筑摩書房、平成二二)、所与の状況を拒絶したりそれに抵抗したりするのではなく、むしろその状況にこそ自らの矜持のありどころを見出し、それを肯定的に引き受けていこうとする強さが汀女にはある。

どうしてこんな嶮しい世相のきびしい生活の中に、そんなたのしい詩などあるものではないと思う方があるか知れませんが、悲しいことも、辛いことも、十七字に詠むことで不思議に自分から離れてしまい、文字につづるということは不思議な強い力をもっています。

ここで汀女は「文字につづるということは不思議な強い力をもっています」と述べているが、この「強い力」を自らの強さとしえたのが汀女なのではなかったか。
こうした汀女の姿勢は本書の俳句鑑賞においても一貫している。

  垣根越し百合苗わかつシヤベルごと  松原季子
うらやましい隣人たち。そっくり掘り起した百合苗が、そのままお隣へ養子に行く。これからの成長、大きな花の約束しつつ、いま垣根一重の向へ籍を移すのだつ(ママ)た。「シヤベルごと」とはたのしい。土もろとも、シヤベルは苗の乗用車の役目を果たしたというわけ。風光り、ふりそそぐ春光、相ともに生きて暮らしてゆく幸とは、こんなことを指していいだろう。

畳替ふことも考へ西日中  三井満寿
したいこと、やりたいことばかりの主婦の胸中、西日という家うち深く射し入るものあれば、そこにまた考えごとが山積する。それにしても畳替は大事業、才覚しきれない思いをなお兎や角と考え続けるのが一家の主婦の負い目であり、責任なのである。我が晴着、我が帯というのではない地味な苦労のあわれさ、西日の容赦なさ。

汀女の鑑賞には人間の姿がある。それは、句そのものに人間の姿がない場合でも同様である。

乾田に土管の落す清水かな  植村カメ
 大きな土管の口から走り出すのは、たしかに清水。これは乾田がうるおすという位でなく、これを見つけた私たちの心、たちまちのうるおいであった。清水が何処からなど考える必要はない。ここに土管の口が現われ、そこに忽然と湧きこぼれる水があればいいのであった。求むれば恵みがあると私はこんなことを書きそえたい気がしたのである。

汀女の鑑賞に説得力があるのは、それがたんに汀女の実感に裏打ちされたものであるからというだけではないだろう。その根底にあるのは、その実感をいつのまにか「私たち」のそれへと敷衍させてしまう美しさであり、またその鑑賞によって読み手がそれぞれの個室から解き放たれていつのまにか手を繋がされてしまうような、無性に明るい場を創出する手腕の見事さではなかろうか。
さて、表題句に話を移すと、この句について汀女は次のように述べている。

 俳句とは、もの真似ではなくて、自分の生活の句、心の奥底からの創作。またいえば境涯の詩というべきです。
  秋晴やロンドンをふと遠しと思う
 友達に是非にとすすめられて、今日が始(ママ)めてという或る夫人の作です。「ロンドンに行っている主人をそんなに遠いとは思いませんでしたが、今朝あまりの秋晴れに、ロンドンを随分遠い所だと、ふとそんな気がしたものですから」と、こんな説明がありました。私はこの心持を結構だと思います。ぐっと心をつかむ思い、その人その日の在り方のなかで浮かぶものを句にすればよろしいわけです。
  菊の香や奈良には古き仏たち  芭蕉
この句と比べるにはあまりに差がありますけれど、これとても芭蕉境涯の句、離れてロンドンにある夫をふとしみじみと句作第一日のこの夫人の句もまた、たとえ稚拙とはいえその境地につながるものです。

「境涯の詩」としての俳句などというと、村上鬼城などの苦難を抱えながら生きた俳人の作を思い浮かべてしまいそうだが、汀女にとってはこの秋晴の句もまた「境涯の詩」であるのだ。しかし、このように書くと、ささやかな主婦の生活を自らの境涯として詠った汀女らの健気なありようを僕が賛美しているように見えるかもしれない。けれども、ささやかな生活に矜持を見出した汀女やその周囲の作家に対するそうした評言はすでに幾度も繰り返されてきたものだ。それに僕は、汀女の句や文を読んでいると、そのなかに健気だとかささやかだとかいう言葉に収まらない何ものかがふいに顔を覗かせることがあるような気がしてならないのである。

 思いがけないことは、ほんとに、小波さえたたないようなしずかなときに起るような気がする。好きだと思い込んでいた横浜の、初夏のある日、下の男の子が疫痢、入院、そして危篤。マクラ辺で俳句が出来たのを、子供に済まないような心にもなったけれど、句を書きとめていたことで、何か看病にも勇気が出たのを思い出す。幸いに子供も助かり、私にそのときの句は忘れ難い。
  夏蒲団病篤ければおとなしく
短夜のほそめほそめし灯のもとに
病院の廊下鏡の夜半の夏

モネは妻であるカミーユの死に際して、刻々と死へと向かってゆく病床の妻の姿を描いた。ともに己の表現欲に駆られての行為であるとはいえ、モネの行為と汀女のそれとでは次元が違うと思われるかもしれない。しかし、この次元の差ほど汀女の個性の質を如実に示しているものはあるまい。そもそもこの次元の差は、モネの妻は死に汀女の子どもは助かったという事実の差のみによって生じたものではない。というのも、もし子どもが死んでしまっていたとしたら、子どもの死をふまえてなお汀女がこうしたエピソードを披露する姿が僕には想像できないのである。「中村汀女」は「モネ」ではなかったが、それは、汀女が「モネ」たりえなかったのではなく、何よりも汀女自身が「モネ」たることをやわらかく拒絶したからであろう。「幸いに子供も助かり、私にそのときの句は忘れ難い」と書いた汀女の演出力を看過すべきではない。
汀女はまた、「マクラ辺で俳句が出来たのを、子供に済まないような心にもなったけれど、句を書きとめていたことで、何か看病にも勇気が出たのを思い出す」と記しているが、このいかにも健気でささやかな言葉はしかし、自らの健気でささやかな生活をそのままに記したものではあるまい。そもそもこれは汀女自身のいうように「小波さえたたないようなしずかなとき」に起こった「思いがけない」事件だったはずである。いわば波も風も立った生活をあたかもささやかな生活の一コマであったかのように編みなおしたのがこの一文なのではあるまいか。そしてこのような演出があればこそ、僕たちは汀女の句や文に安心して身をあずけることもできるのではなかろうか。
このように考えるとき、秋晴の句はひどく正直なものであるように思われる。しかし実はこのような稚拙さこそ汀女の持ちえないものではなかっただろうか。だがこの句をも「私はこの心持を結構だと思います」とあっさり肯定してしまう汀女を前にするとき、僕には先に引いた次の言葉が、どこか得体の知れないひびきをもって再び立ち現れてくるような気がしてならない。

自分のふれたこと、感じたことを、偽らず、まとめて、それが人にもそのまま通じるよろこび。真実には真実のひびきが伝わりあううれしさ、これが私たちの信じ目指す俳句の道である。