イントロダクション

冨田拓也

I(インタヴュアー)   今回から「spica」にお邪魔させていただくことになりました。

T(冨田拓也)   まさに「蔦系女子」のフィールドといった感じですね。デザインやレイアウトにもセンスのよさが感じられます。

   さて、そもそもこの場所をお借りして、一体これから何を行うことになったのですか。

   今回私が承ったのは、山本健吉の『現代俳句』や塚本邦雄の『百句燦燦』などといった過去の優れた俳句の鑑賞読本に対して、それらに拮抗するような内容で100句の選出を試み、さらにその1句1句に適切な鑑賞文を順次作成するように、との御下命です。

   なんとも大変なことを引き受けましたね……。

   そうですね。しかしながら、取り組んでみるだけの価値はあると思います。あと、取り敢えず、タイトルの方は「百句晶晶」と名付けてみました。

   これは『百句燦燦』に因んでのタイトルということになるわけですね。

   さて、まずはその過去の俳句鑑賞読本の名著である山本健吉の『現代俳句』と塚本邦雄の『百句燦燦』について少しふれたいと思います。

   山本健吉の『現代俳句』についてですが、この本が最初に上梓されたのは、昭和26年(1951)であったとのことです。

   ということは2011年である現在から、およそ60年前に刊行されたものということになりますね。

   その後この『現代俳句』は改訂を何度か重ね、現在に至るまでなお俳句鑑賞の傑作として俳人たちに読み継がれているわけですから、やはり単純にすごいことですよね。

   『定本 現代俳句』(角川選書 平成10年〈1998〉)の収録作家は、正岡子規、夏目漱石、高浜虚子、村上鬼城、渡辺水巴、飯田蛇笏、原石鼎、前田普羅、久保田万太郎、芥川龍之介、室生犀星、富田木歩、鈴木花蓑、杉田久女、日野草城、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十、富安風生、山口青邨、西島麦南、芝不器男、川端茅舎、松本たかし、金尾梅の門、角川源義、中村汀女、星野立子、橋本多佳子、中村草田男、長谷川素逝、五十崎古郷、篠田悌二郎、高屋窓秋、石橋辰之助、石田波郷、加藤楸邨、秋元不死男、平畑静塔、西東三鬼、石塚友二、永田耕衣、森澄雄、飯田龍太、細見綾子、相馬遷子、角川春樹ということになります。

   まさしく文句のつけようのない俳句のスタンダードというべき作者たちの名がそのまま提示されているといった感じですね。

   続いて、塚本邦雄の『百句燦燦』についてですが、こちらは昭和49年(1974)に上梓されています。

   ということは、現在の2011年から約35年近く前の刊行ということになりますね。

   また、山本健吉の『現代俳句』(昭和26年〈1951〉)の刊行からは、およそ23年後の上梓ということになります。

   よく考えてみれば、この山本健吉と塚本邦雄の2人はそもそも俳句の実作者ではなく、山本健吉は文芸評論家で、塚本邦雄は歌人ということになりますね。

   もしかしたら俳人の手にによるこういった鑑賞読本というのは、これまでさほど話題にならなかった、ということなのかもしれません。

   過去における俳人の俳句鑑賞の本としては、高浜虚子『俳句はかく解しかく味う』大正7年(1918)、水原秋櫻子『三代俳句鑑賞』昭和17年(1942)、山口誓子『秀句の鑑賞』 昭和15年(1940)、臼田亜浪『純粋俳句の鑑賞』昭和17年(1942)、飯田蛇笏『現代俳句秀作の鑑賞』昭和18年(1943)などが存在したようですが、これらの鑑賞本がかつてはどれほど読まれたものであったのか、現在となってはよくわからないところがありますね。

   さて、塚本邦雄の『百句燦燦』についてですが、この本が上梓された当時(昭和49年〈1974〉)、俳句の世界ではそれほど話題にはならなかったそうです。

   そうですか。歌人による俳句の著作ということで俳人の人々はあまり興味を示さなかったのかもしれませんね。

   塚本邦雄も後年に〈専門家からは一切無視された〉と『俳句空間』19号に自ら書き残していますし、当時の資料をいくつか見てみても、この『百句燦燦』について言及しているのは、せいぜい飯島晴子と須永朝彦くらいのようです。

   それでも現在では「講談社文芸文庫」の1冊として文庫化され、長い月日が経過した現在でも読み継がれているということになるわけですね。

   『百句燦燦』の収録俳人を眺めてみると、石田波郷、下村槐太、西東三鬼、加藤楸邨、齋藤空華、秋元不死男、佐藤鬼房、寺山修司、高柳重信、野澤節子、島津亮、飯田蛇笏、天野莫秋子、金子明彦、鷹羽狩行、森澄雄、松本たかし、若山幸央、小金まさ魚、大峯あきら、中村草田男、鈴木六林男、金子兜太、橋本多佳子、林田紀音夫、赤尾兜子、飴山實、八木三日女、桂信子、楠本憲吉、大野林火、富安風生、小川双々子、平畑静塔、富澤赤黄男、神生彩史、加藤郁乎、藤田湘子、火渡周平、山口誓子、川端茅舎、加倉井秋を、阿波野青畝、八田木枯、堀井春一郎、小宮山遠、三谷昭、日野草城、塚本邦雄、飯田龍太、永田耕衣、能村登四郎、上月章、石川雷児、大原テルカズ、松村蒼石、浅井久子、三橋鷹女、加藤かけい、河原枇杷男、本郷昭雄、飯島晴子、原石鼎、榎本冬一郎、坪内稔典、馬場駿吉、星野石雀、伊丹三樹彦、の68名ということになります。

   やはり少々尋常一様の選出ではありませんね。特に、島津亮、下村槐太、天野莫秋子、金子明彦、齋藤空華、若山幸央、小金まさ魚、小川双々子、河原枇杷男、神生彩史、八木三日女、小宮山遠、三谷昭、火渡周平、上月章、石川雷児、大原テルカズ、浅井久子、加藤かけい、本郷昭雄、馬場駿吉、堀井春一郎といったあたりの俳人は、現在でも大抵の場合まず取り挙げられることはありません。

   このあたりがこの選者の特殊な側面ということになるのでしょう。山本健吉や大岡信あたりのオーソリティーには、こういった個人的なこだわりといったものはあまり見られません。

   確かに塚本邦雄という人には、大衆の意識を汲み上げようとする山本健吉や大岡信らとは若干スタンスが異るところがあるようですね。

   もしかしたら、この『百句燦燦』という一書は、山本健吉の『現代俳句』に対するアンチテーゼとして著されたという部分もあったのかもしれません。

   やはり当時において『現代俳句』の存在を意識しないということは、まずありえないでしょうね。

   それだけ『現代俳句』という本の存在が大きなものであったということなのでしょうが、塚本邦雄はこの『百句燦燦』において山本健吉の『現代俳句』とは異なる俳句の価値観や評価軸を構築しようという意図を少なからず秘めていたのかもしれません。

   さて、『百句燦燦』収録の作者名についてみてきましたが、続いて、『百句燦燦』の「跋」の部分について少しふれておきたいのですが、ここには、以下のような言葉が見られます。

一巻の構成と趣向のために収録作品に優る秀句を夥しく割愛せねばならなかつた。たとへば思ひつくままに作家名を列記するならば、
虚子 秋櫻子 水巴 鬼城 万太郎 碧梧桐 井泉水 一碧楼
放哉 鳳作 縷縷 久女 秀野 朱鳥 素逝 素十 汀女
鶏二 敦 夜半 青邨 白虹 青鞋 間石 吐天 桂郎 占魚
源二 窓秋 欣一 太穂 秩父 照雄 飛旅子 綾子 稚魚
爽波 薫 公平 喜八 魚目 八束 葦男 甲子雄 暮石 聡
五千石 悟朗 敏雄 義一 大
以上の大家名手のモニュメンタルな作品はなほ百句を越えて私の意中にあり、さらにほかにも不用意に名を逸しつつ句を愛で続けてゐる作者も十人を下らないだらう。

   やはり100句を選出するまでに随分と多くの作品を割愛していたようですね。

   下の名前のみの記述なので、作者名がいまひとつよくわからない部分があるのですが。

   順番におそらく、高浜虚子、水原秋櫻子、渡辺水巴、村上鬼城、久保田万太郎、河東碧梧桐、荻原井泉水、中塚一碧楼、尾崎放哉、篠原鳳作、神崎縷々、杉田久女、石橋秀野、野見山朱鳥、長谷川素逝、高野素十、中村汀女、橋本鶏二、安住敦、後藤夜半、山口青邨、横山白虹、阿部青鞋、橋間石、内藤吐天、石川桂郎、上村占魚、細谷源二、高屋窓秋、沢木欣一、古沢太穂、目迫秩父、香西照雄、田川飛旅子、細見綾子、岸田稚魚、波多野爽波、堀内薫、原子公平、和知喜八、宇佐美魚目、石原八束、堀葦男、福田甲子雄、右城暮石、志摩聡、上田五千石、和田悟朗、三橋敏雄、中丸義一、しょうり大、ということになるのでしょうね。ただ、「聡」と「大」という作者名については果たしてどこまで正しいといえるのか微妙なところですが。
 
   こちらの顔ぶれをみると、どちらかというと割合スタンダードに近い印象を受けますね。

   そうですね。少々異色であるのは、荻原井泉水、中塚一碧楼、神崎縷々、阿部青鞋、堀内薫、堀葦男、志摩聡、中丸義一、しょうり大、といったあたりくらいかな、とも。

   さて、ここまで『百句燦燦』について少しみてきましたが、塚本邦雄にはまだ他にも俳句に関する資料が少なくないようですね。

   確かに塚本邦雄には他にも数多くの俳句に関する文章が存在しますが、その俳句関係の資料の中で主要といえるものが、昭和53年(1978)に上梓された『秀吟百趣』と昭和60年(1985)4月の『アサヒグラフ増刊 俳句の時代』の100句選であると思います。

   塚本邦雄には『百句燦燦』の他にも100句選が存在するのですね。

   『秀吟百趣』には、渡辺水巴、富安風生、村上鬼城、飯田蛇笏、青木月斗、原石鼎、高浜虚子、中塚一碧楼、臼田亜浪、夏目漱石、尾崎放哉、前田普羅、河東碧梧桐、尾崎紅葉、水原秋櫻子、松根東洋城、松瀬青々、川端茅舎、杉田久女、荻原井泉水、竹下しづの女、正岡子規、寺田寅彦、大谷碧雲居、高野素十、飛鳥田麗無公、長谷川かな女、松本たかし、阿波野青畝、中村草田男、山口青邨、野見山朱鳥、鈴木花蓑、高屋窓秋、安住敦、中村汀女、篠原梵、久保田万太郎、横山白虹、佐野まもる、篠田悌二郎、堀内薫、相生垣瓜人、細見綾子、三橋敏雄、飯田龍太、金子兜太、和田悟朗、高柳重信、平井照敏、といった49名の名前がみられます。

   この『秀吟百趣』は、短歌作品50首と俳句作品50句の混成によって構成された評論集ということになるわけですね。

   『アサヒグラフ増刊』(昭和60年4月)の「昭和百句抄」には、川端茅舎、松本たかし、渡辺水巴、長谷川素逝、金子兜太、下村槐太、中村草田男、岸田稚魚、西東三鬼、加倉井秋を、能村登四郎、川崎展宏、加藤郁乎、富澤赤黄男、野見山朱鳥、鈴木六林男、森澄雄、神生彩史、阿部完市、渡辺白泉、加藤楸邨、山口誓子、佐野まもる、相生垣瓜人、三橋敏雄、安住敦、富安風生、阿波野青畝、大谷碧雲居、島津亮、野澤節子、火渡周平、馬場駿吉、河原枇杷男、八木林之助、原裕、友岡子郷、永田耕衣、大野林火、久保田月鈴子、林田紀音夫、上村占魚、飯田蛇笏、草間時彦、堀井春一郎、秋元不死男、藤田湘子、細見綾子、和田悟朗、本郷昭雄、鷲谷七菜子、宮入聖、篠原鳳作、八田木枯、松村蒼石、飯島晴子、三浦秋葉、八木三日女、篠田悌二郎、佐藤鬼房、大串章、高柳重信、平井照敏、堀内薫、日野草城、橋本鶏二、川島彷徨子、宇佐美魚目、桂信子、橋間石、しょうり大、寺山修司、前田普羅、鍵和田秞子、青柳志解樹、上田五千石、木下夕爾、大原テルカズ、長谷川久々子、加藤かけい、磯貝碧蹄館、平畑静塔、有馬朗人、永島靖子、上村占魚、千代田葛彦、田川飛旅子、岩村蓬、飴山實、石塚友二、伊丹三樹彦、加藤三七子、石田波郷、鷹羽狩行、橋本多佳子、水原秋櫻子、三橋鷹女、高浜虚子、といった100名の俳人が取りあげられています。

   こうみるとやはり塚本邦雄という人は、俳句作品に対して本当に該博な知識を有していたということがわかりますね。青木月斗、中塚一碧楼、尾崎紅葉、松根東洋城、松瀬青々、竹下しづの女、大谷碧雲居、飛鳥田麗無公、長谷川かな女、鈴木花蓑、佐野まもる、篠田悌二郎、堀内薫、相生垣瓜人、加倉井秋を、神生彩史、八木林之助、宮入聖、松村蒼石、三浦秋葉、しょうり大、大原テルカズ、長谷川久々子、加藤かけい、千代田葛彦あたりの作品までおさえている人は現在では殆ど存在しないはずです。

   俳句のみならず、当然ながら、短歌や現代詩についてもその知識量は大変なものでした。今後塚本邦雄の文業で評価されるのは、その作品よりも評論の方ではないかとさえいわれています。

   確かに和歌などの古典に関する評論は今後も確実に残ってゆくものでしょうね。現在、これだけの詩歌の知識を自らのバックボーンとして備えている人はやはり稀だという気がします。

   確かにこの人物の著書に何冊か接すれば、現在の表現者たちの知識量というものが一体どの程度であるのか、おおよそ見当がついてしまうようなところがあります。

   しかしながら、いま名前を挙げた俳人たちの顔ぶれをみても、やはり少々ありきたりの人選とは相当に異なる部分がありますね。

   そうですね。大方の俳人はこのような選び方をしない、というよりも、まずはできないはずです。

   確かにこういった選び方を行うには、非常に広域にわたる俳句作品を読んでいなければまず不可能でしょうね。

   さて、これまで山本健吉と塚本邦雄の著作についてふれてきましたが、それ以外の他に参考となりそうな俳句関係の資料についてこれから少し見てゆきたいと思います。

   やはり他にも俳句の資料はまだまだ数多く存在するのでしょうね。

   まず「100句」という括りでの資料としては、おおよそ以下のものが挙げられそうです。

塚本邦雄 『百句燦燦』 講談社 昭和49年(1974)
金子兜太 『愛句百句』 講談社 昭和53年(1978)
『現代俳句パノラマ』(夏石番矢、齋藤慎爾、宗田安正編) 立風書房 平成6年(1994)
安東次男 「わたしの選ぶ四季百句」 『其句其人』 ふらんす堂 平成11年(1999)
高橋睦郎 『百人一句』 中公新書 平成11年(1999)
大岡信  『百人一句』 講談社 平成13年(2001)
松井浩生 『百人一句』 禽獣舎 平成13年(2001)
高橋睦郎 『HAIKU 俳句』 ピエ・ブックス 平成15年(2003)
金子兜太(監修) 『声に出して味わう日本の名俳句100選』 中経出版 平成15年(2003)
長谷川櫂 『国民的俳句百選』 講談社 平成20年(2008)
大岡信 「昭和百句抄」 『アサヒグラフ増刊 俳句の時代』昭和60年(1985)4月
塚本邦雄 「昭和百句抄」 『アサヒグラフ増刊 俳句の時代』昭和60年(1985)4月
山本健吉 「昭和百句抄」 『アサヒグラフ増刊 俳句の世界』昭和60年(1985)10月
中井英夫 「幻想俳句百選」 『アサヒグラフ増刊 俳句の世界』昭和60年(1985)10月
高野公彦 「掌上の翡翠 わが百句」 『歌壇』平成元年(1989年)9月号
「俳句三〇〇年、ベスト100句を選ぶ」復本一郎、川名大、仁平勝編 『太陽』「特集 百人一句」 平成6年(1994)12月号
『国文学』「特集 俳句の謎」 学燈社 平成8年(1996)2月増刊号

   これをみると、100句という括りでは、意外にもそれほど数多くの資料が存在するというわけではないようですね。

   いくらか見落としてしまっている可能性もありそうですが、個人としての著作だけをみても、やはりそれほど数多くは刊行されていないようです。そして、どうやらまず100句のみでの評論集の最初の刊行は、先程にも取り上げた塚本邦雄の『百句燦燦』昭和49年(1974)となるようです。

   所謂「百人一句」の最初の著作が俳人ではなく歌人のものであったという事実については、なんというか少々意外な感じがしますね。

   そうですね。俳句の鑑賞読本については、それまでに少なからぬ数が刊行されているわけなのですが、収録数を100句と限定したものは、見落としがあるかもしれませんが、どうやら個人の著作としてはやはりこの『百句燦燦』が最初であるようです。

   短歌の方には『百人一首』がありますから、そのバリエーションとしての発想であったと考えられる部分もあるのかもしれませんね。

   他に100句選の資料として主要なものは、金子兜太『愛句百句』、『現代俳句パノラマ』(夏石番矢、齋藤慎爾、宗田安正編)、安東次男『其句其人』、高橋睦郎『百人一句』、『HAIKU 俳句』、大岡信『百人一句』、松井浩生『百人一句』、長谷川櫂『国民的俳句百選』あたりが挙げられそうです。

   安東次男、高橋睦郎、大岡信、松井浩生、長谷川櫂の著作では、100句の中に俳句のみならず俳諧の発句が収録されていますね。

   『百句燦燦』については現代の俳人のみで構成されており、あと、金子兜太の『愛句百句』もおおよそ現代の俳人によって1冊が占められています。『愛句百句』については、その内容はなかなか面白いのですが、少々身内意識の強い側面があり、その点がやや残念なところです。『現代俳句パノラマ』の方も現在の俳人のみの収録で、内容的には充実した1冊となっているのですが、解説が複数の書き手によって構成されており、そのため少々統一感に欠けるような印象があります。

   安東次男、高橋睦郎、大岡信、松井浩生、長谷川櫂の著作における近代以降の俳人の人選については如何でしょうか。

   そうですね。大体主に、正岡子規、高浜虚子、飯田蛇笏、芥川龍之介、日野草城、高野素十、阿波野青畝、山口誓子、杉田久女、橋本多佳子、芝不器男、川端茅舎、石田波郷、といったあたりの割合スタンダードともいうべき作者が収録されています。

   さて、上記の資料の雑誌の方に目を移したいのですが、このようにみると『アサヒグラフ増刊』、『歌壇』、『国文学』、『太陽』などで過去に100句選の企画が行われていたということになるわけですね。

   その内容としては、『アサヒグラフ増刊』のものは大体作品のみを100句選出したもので、また他の『歌壇』、『国文学』、『太陽』のものも割合参考になるのですが、さほど意外性の強いものではないようです。また、雑誌については、あまりしっかりと調べていないので正確にはわからないのですが、他にも総合誌の企画などで、まだ100句選がいくつか存在している可能性がありそうです。

   そういえば、『Series俳句世界』や総合誌の『俳句朝日』、『俳句界』などでテーマ別の100句選が掲載されていたという記憶があります。

   また、ネット上など、他の場所にもこういった種類の100句選がいくつも存在している可能性が少なくないかもしれません。

   あと、こういった「100句」という括り以外にも俳句の鑑賞本というものは数多く存在するわけですよね。

   当然ながら、そういった資料の方がはるかに数が多く、それこそ俳句作品の鑑賞文については、単行本に収録のもののみならず、全集、選集、俳句辞典、入門書、新聞、総合誌、ネットなど様々な場所に遍在しています。

   そういった資料の内のいくつかを、あくまでも一部ではありますが単行本を中心に試みに少し調べて、以下に挙げてみることにしましょうか。

高浜虚子 『俳句はかく解しかく味う』 新潮社 大正7年(1918)
高浜虚子 『現代俳句評釈』 春秋社 昭和3年(1928)
『俳句講座』全10巻 改造社 昭和7~8年(1932~1933)
山口誓子 『秀句の鑑賞』  三省堂 昭和15年(1940)
水原秋櫻子 『俳句の評釈と添削』 素文堂 昭和16年(1941)
山口誓子 『俳句鑑賞の為に』 素文堂 昭和17年(1942)
臼田亜浪 『純粋俳句の鑑賞』 新土社 昭和17年(1942)
水原秋櫻子 『三代俳句鑑賞』 第一書房 昭和17年(1942)
飯田蛇笏 『現代俳句秀作の鑑賞』 厚生閣 昭和18年(1943)
水原秋櫻子 『新撰俳句評釈』 松尾書房 昭和25年(1950)
飯田蛇笏 『現代俳句の批判と鑑賞』 創元社 昭和25年(1940)
山本健吉 『現代俳句』 角川書店 昭和26年(1951)
三好達治 『俳句鑑賞』 筑摩書房 昭和30年(1955)
山本健吉 『昭和俳句』 角川書店 昭和33年(1958)
『現代俳句全集』全8巻 みすず書房 昭和33~34(1958~1959)
『俳句講座』全10巻 明治書院 昭和33~34(1958~1959)
中島斌雄 『現代俳句全講』 学燈社 昭和37年(1962)
大野林火 『戦後秀句1』 春秋社 昭和38年(1963)
平畑静塔 『戦後秀句2』 春秋社 昭和38年(1963)
富安風生 『大正秀句』 春秋社 昭和38年(1963)
『日本秀句』 全10巻 春秋社 昭和38~43年(1963~1973)
石田波郷・楠本憲吉 『昭和俳句1』 春秋社 昭和40年(1965)
村野四郎 『秀句鑑賞十二ヶ月』 愛育出版 昭和41年(1966)
楠本憲吉 『戦後の俳句』 社会思想社 昭和41年(1966)
『近代文学鑑賞講座第24巻 俳句・短歌』(山本健吉編) 角川書店 昭和41年(1966)
大野林火 『近代俳句の鑑賞と批評』 明治書院 昭和42年(1967)
吉田精一、楠本憲吉 『現代俳句評釈』昭和42年(1967)
山口青邨 『明治の秀句』 春秋社 昭和43年(1968)
三谷昭 『現代の秀句』 大和書房 昭和44年(1969)
秋元不死男 『昭和秀句2』 春秋社 昭和48年(1973)
永田耕衣 『二句勘辨』 永田書房 昭和50年(1975)
安井浩司 『聲前一句』 端渓社 昭和52年(1977)
飯田龍太 『俳句鑑賞読本』 立風書房 昭和53年(1978)
塚本邦雄 『秀吟百趣』 毎日新聞社 昭和53年(1978)
永田耕衣 『名句入門』 永田書房 昭和53年(1978)
西垣侑、川崎展宏 『現代俳句を学ぶ』 有斐閣 昭和53年(1978)
大岡信 「折々のうた」 昭和53年~平成19年(1979~2007)
『鑑賞現代俳句全集』全12巻 立風書房 昭和55~56年(1980~1981)
『研究資料現代日本文学 6 俳句』 明治書院 昭和55~56年(1980~1981)
草間時彦 『俳句十二ヶ月』 角川書店 昭和56年(1981)
飯田龍太 『龍太俳句鑑賞』 実業之日本社 昭和57年(1982)
皆吉司 『多感俳句論』 四季出版 昭和59年(1984)
結城昌治 『俳句つれづれ草』 朝日新聞社 昭和60年(1985)
山本健吉 『句歌歳時記』全4冊 新潮社 昭和61年(1986)
岡井隆 『けさのことば』 砂子屋書房 昭和61年(1986)
安西均 『詩歌粒々』 飯塚書店 昭和62年(1987)
嶋岡晨 『現代の秀句』 飯塚書店 昭和63年(1988)
結城昌治 『俳句は下手でかまわない』 朝日新聞社 平成元年(1989)
小室善弘 『鑑賞現代俳句』 本阿弥書店 平成元年(1989)
『鑑賞日本現代文学33 現代俳句』(安東次男、大岡信編) 角川書店 平成2年(1990)
夏石番矢 『現代俳句キーワード辞典』 立風書房 平成2年(1990)
飯田龍太 『現代俳句の面白さ』 新潮社 平成2年(1990)
能村登四郎 『秀句十二か月』 富士見書房 平成2年(1990)
『日本名句集成』 学灯社 平成3年(1991)
『名句鑑賞辞典』 角川書店 平成3年(1991)
嶋岡晨『詩のある俳句』 飯塚書店 平成4年(1992)
『短歌 俳句 川柳101年 1892~1992』 新潮社 平成5年(1993)
金子兜太 『遠い句近い句』 富士見書房 平成5年(1993)
飯田龍太 『現代俳句歳時記』 新潮社 平成5年(1993)
友岡子郷 『俳句 物のみえる風景』 本阿弥書店 平成7年(1995)
村上護 『今朝の一句』 講談社 平成7年(1995)
黒田杏子 『俳句と出会う』 小学館 平成7年(1995)
飯田龍太 『鑑賞歳時記』1~4巻 角川書店 平成7年(1995)
飯田龍太 『季節の名句』 角川書店 平成8年(1996)
宗左近 『21世紀の俳句』 東京四季出版 平成8年(1996)
西村和子、行方克己 『名句鑑賞読本』 角川書店 平成9年(1997)
井本農一 『名句鑑賞十二か月』 小学館 平成10年(1998)
多田道太郎 『新選俳句歳時記』 潮出版社 平成11年(1999)
磯貝碧蹄館 『四季の俳句』 雄山閣出版 平成11年(1999)
大岡信 『名句歌ごよみ』5冊 角川書店 平成11~12年(1999~2000)
田中裕明、森賀まり 『癒しの一句』 ふらんす堂 平成12年(2000)
岸本尚毅 『名句十二か月』  富士見書房 平成12年(2000)
『新編 俳句の解釈と鑑賞事典』尾形功編 笠間書院 平成12年(2000)
山下一海、川名大 『俳句の本』 毎日出版社 平成12年(2000)
川名大 『現代俳句』上下 ちくま学芸文庫 平成13年(2001)
中村苑子 『俳句礼賛』 富士見書房 平成13年(2001)
長谷川櫂編『現代俳句の鑑賞101』 新書館 平成13年(2001)
正木ゆう子 『現代秀句』 春秋社 平成14年(2002)
『無敵の俳句生活』俳筋力の会 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 平成14年(2002)
清水哲男 『増殖する俳句歳時記』 ナナ・コーポレート・コミュニケーション 平成14年(2002)
酒井佐忠 『風のことのは』 本阿弥書店 平成15年(2003)
酒井佐忠 『今朝のうた』 本阿弥書店 平成15年(2003)
金子兜太編『現代の俳人101』 新書館 平成16年(2004)
宇多喜代子 『わたしの名句ノート』富士見書房 平成16年(2004)
福田甲子雄 『忘れられない名句』 毎日新聞社 平成16年(2004)
勝目梓 『俳句の森を散歩する』 小学館 平成16年(2004)
黛まどか 『知っておきたい「この一句」』 PHP研究書 平成16年(2004)
『名歌名句辞典』(佐佐木幸綱、復本一郎編) 三省堂 平成16年(2004)
松林尚志 『現代秀句』 沖積舎 平成17年(2005)
長谷川櫂 『四季のうた』 中央公論新社 平成17年(2005)
村上護 『きょうの一句』 新潮社 平成17年(2005)
西村和子、行方克己 『名句鑑賞読本 藍の巻』 角川学芸出版 平成17年(2005)
西村和子、行方克己 『名句鑑賞読本 茜の巻』 角川学芸出版 平成17年(2005)
清水哲男 『平成俳句のすすめ』 秀和システム 平成18年(2006)
中村幸弘 『名句鑑賞辞典』 学習研究社 平成18年(2006)
小島健 『大正の花形俳人』 ウエップ 平成18年(2006)
酒井佐忠 『今朝のうた 第2集』  本阿弥書店 平成18年(2006)
高柳克弘 『凛然たる青春』 富士見書房 平成19年(2007)
『展望 現代の詩歌』9、10、11 明治書院 平成19~20年(2007~2008)
『女流俳句の世界』全6巻 角川書店 平成20年(2008)
『覚えておきたい 極めつけの名句一〇〇〇句』角川学芸出版編 平成20年(2008)
長谷川櫂 『麦の穂』 中央公論新社 平成20年(2008)
正木ゆう子 『一句悠々』 春秋社 平成21年(2009)
『現代俳句の鑑賞事典』 東京堂出版 平成22年(2010)
松林尚志 『俳句に憑かれた人たち』 沖積舎 平成22年(2010)

   あくまで「鑑賞読本」的な性格を持っている資料を年代順に挙げてみました。ここに挙げたもの以外にもまだまだその数は多いはずで、こういった種類の資料を全的に把握するのはやはりまず不可能でしょうね。

   また、ここに作家論などを含む「評論集」的な資料を加えるなら、さらにその数は増えることになるはずです。

   正直なところ、あまりの資料の多さに頭の中がごちゃごちゃになって殆ど収拾がつかなくなってしまうようなところがありますね。

   そもそもこういった鑑賞文の一つ一つに必ずしもわざわざ目を通さなければならない、というわけでもないのかもしれませんが。

   まあ、できるだけ優れた内容のものを取捨選択することができれば、それが一番いいのでしょうけどね。

   あと、当然ながら、他に百句を選ぶための資料には、これらの鑑賞読本のみならず、俳句作品そのものを収録した句集の「集成」や「大系」といったアンソロジー、歳時記、俳句辞典、様々な個人句集、総合誌、結社誌、同人誌などといったものが存在します。

   なんとも大変そうですが、ともあれ、こういった資料の存在を念頭に置いた上で、これからまずは100句を選ぶための足がかりとなる作業に取りかかりたいと思います。

   一体何を行うつもりですか?

   一応、まずは作品を選ぶにあたって、「年代の範囲」についておおまかに決めておきたいのですが、今回の100句選については「近代以降」の作者の俳句作品のみに限定したいと思います。

   ということは、今回の100句には俳諧の発句は収録しないということですね。

   そうです。一応、以下に、現在のところ近代以降の俳人の中から、今回取り上げてみようと考えている作者名を、暫定的なかたちではありますが、絞り込んで選んでみました。

正岡子規 夏目漱石 石井露月 松瀬青々 青木月斗 村上鬼城 岡本癖三酔 高田蝶衣 高浜虚子 尾崎紅葉 安藤和風 原月舟 島村元 久保より江 長谷川かな女 臼田亜浪 飛鳥田麗無公 河東碧梧桐 中塚一碧楼 野村朱鱗洞 海藤抱壺 安齋櫻塊子 大橋裸木 大谷碧雲居 松根東洋城 尾崎迷堂 荻原井泉水 種田山頭火 尾崎放哉 富田木歩 渡辺水巴 原石鼎 前田普羅 飯田蛇笏 松村蒼石 高野素十 杉田久女 阿波野青畝 森川暁水 後藤夜半 芥川龍之介 芝不器男 西村泊春 橋本夢道 鈴木花蓑 水原秋櫻子 中田みづほ 永田耕衣 西村白雲郷 山口誓子 橋本多佳子 平畑静塔 山口青邨 富安風生 中村草田男 加藤楸邨 内藤吐天 篠原梵 能村登四郎 石田波郷 川端茅舎 松本たかし 久保田万太郎 池内友次郎 大野林火 野沢節子 星野立子 中村汀女 西東三鬼 高屋窓秋 渡辺白泉 篠原鳳作 伊藤柏翠 藤後左右 神崎縷々 高篤三 喜多青子 神生彩史 藤木清子 細谷源二 中村三山 三谷昭 秋元不死男 鈴木しづ子 稲垣きくの 川口重美 安住敦 火渡周平 齋藤空華 星野石雀 日野草城 富澤赤黄男 三橋鷹女 高柳重信 加藤郁乎 中村苑子 桂信子 楠本憲吉 下村槐太 島将五 金子明彦 小金まさ魚 林田紀音夫 中田有恒 大原テルカズ 相生垣瓜人 野見山朱鳥 橋本鶏二 福田寥汀 榎本冬一郎 加倉井秋を 相馬遷子 飯田龍太 森澄雄 金子兜太 佐藤鬼房 三橋敏雄 鈴木六林男 赤尾兜子 橋間石 和田悟朗 藤田湘子 飯島晴子 阿部完市 波多野爽波 津田清子 鷲谷七菜子 加藤かけい 堀葦男 島津亮 上月章 稲葉直 大橋嶺夫 八木三日女 澁谷道 志摩聡 寺田澄史 本郷昭雄 阿部青鞋 水嶋波津 小川双々子 中島斌雄 堀井春一郎 和田魚里 八田木枯 岡井省二 山本紫黄 高橋龍 亀田虎童子 中尾寿美子 清水径子 栗林千津 後藤綾子 齋藤玄 細川加賀 奥山甲子男 飴山實 大峯あきら 大串章 竹中宏 友岡子郷 宇佐美魚目 磯貝碧蹄館 高橋睦郎 鷹羽狩行 岡本眸 上田五千石 小宮山遠 石川雷児 吉田汀史 馬場駿吉 大嶽青児 柿本多映 赤松葸子 小原啄葉 長谷川草々 寺山修司 福永耕二 長谷川久々子 矢島渚男 安井浩司 河原枇杷男 折笠美秋 福田甲子雄 寺井文子 宇多喜代子 加藤三七子 手塚美佐 宗田安正 斎藤慎爾 大石悦子 池田澄子 今井杏太郎 大牧広 豊口陽子 攝津幸彦 坪内稔典 沢好摩 しょうり大 大沼正明 宮入聖 高野ムツオ 夏石番矢 正木浩一 金田咲子 住宅顕信 長谷川櫂 正木ゆう子 対馬康子 田中裕明 岸本尚殻 永末恵子 恩田侑布子 辻美奈子

   作者を絞り込んだという割には、まだ随分と人数が多いようですね。これだけでも確実に100名を超過してしまっています。

   いまここに挙げた俳人の数は、おそろしいことに大体210名前後ということになるようです。本当はもっと加えたかったのですが。

   一応このリストの作者名をざっと眺めてみた印象としては、スタンダードの作者とやや異色の俳人とをバランス感覚を伴ったかたちで選び出した、といったところでしょうか。

   そうですね。他にも当然ながら優れた作者や作品の存在というものは少なくないのでしょうが、いまのところは、このあたりからどうにか100句へと絞り込んでゆきたいと考えています。

   『新撰21』、『超新撰21』の作者や、あるいはこれらの作者と同じ年代の若手俳人の作品については取り上げないのですか?

   その問題については当然ながら考える必要があるのですが、少し難しいかもしれませんね。今回、例えば、高山れおな、関悦史、高柳克弘、神野紗希、あるいはその他の作者の作品を取り上げてもいいと思うのですが、100句の内に一体どれだけの作者を選出することができるかどうかとなると、少々心許ないところがあります。

   確かに若手の作者と作品だけでもその数はけっして少なくないわけですから、一体誰のどの句を選び出すかといった判断を下すのは随分と難しいところでしょうね。

   まあ、若手俳人も含めて、今回収録できなかった作者については、今後の「続編」で取り上げる、ということにしましょうか。

   今回の「百句晶晶」の作業がまだこれっぽっちも進んでいないのに、一体どこから「続編」という発想が出てくるのでしょうか。呆れてものが言えません。

   まあ、個人だとどうしてもその趣味、嗜好からある程度の偏りが生じてしまうのは避けられない部分があるということです。

   さて、ここまで、山本健吉、塚本邦雄などの「百人一句」を含む様々な俳句の鑑賞読本の存在、また選出すべき作者名といった内容について大雑把ではありますが眺めてきました。

   これからいよいよ100句を選出し、それぞれに鑑賞文を記してゆくわけですが、1句に付すことになる「文章の分量」について、ここで決めておきたいと思います。

   一応、先程挙げた資料の中から適切と思われるものをいくつか選んで、1句あたりについての解説文の分量を調べて並べてみると、大体以下のようになります。

・塚本邦雄 『百句燦燦』(講談社文芸文庫) 1句あたり 40字×32行=約1280字
・高橋睦郎 『百人一句』 1句あたり 43字×25行=約1075字
・正木ゆう子 『現代秀句』  1句あたり 42字×14行=約588字

   『百句燦燦』が1句につき約1280字で、『百人一句』が1句につき約1075字程度ということで、今回は100句選ということもあり、これらの分量を今後のおおよその目安とすることに決めたいと思います。

   1句あたり約1000~1280字ということは、本だと大体見開きで2頁程の分量ということになりますね。

   やはり100句ということでは、それくらいがちょうどいいのかもしれません。さて、文章の分量も決定したということで、一応のところ、今回はこれにて「百句晶晶」のイントロダクションを終了したいと思います。

   前置きだけで随分と大変なものがありましたね。

   ともあれ、私としては今回、塚本邦雄の『百句燦燦』が上梓された昭和49年(1974)から約35年後である現在の2011年、この100句選の書を如何に批判的に受け継ぐことができるかという意識を抱いている部分もあります。ということで、次回より「百句晶晶」の連載を開始したいと思います。

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