この「蛇の衣」は、川などの水の流れに漂っているのであろうか。それとも水辺近くの木や藪などに引っ掛かり風に靡いているだけなのであろうか。ともあれ、掲句にはこの夏の季語である「蛇の衣」のあと、ただ「水美しく流れよと」という言葉のみが提示されている。この下五「流れよと」の部分は、単に「流れよ」という命令形ではなく、その末尾に助詞の「と」が付随していることに留意したい。この「と」を以て一句の内容は須く断ち切られており、その後に続く幻肢ともいうべき空白部に対応する言葉については読み手側の想像によって補う他はない。順当に考えた場合、ここには大体〈「水美しく流れよと」懇願している〉、〈「水美しく流れよと」叫んでいる〉、〈「水美しく流れよと」祈っている〉等といった言葉が当て嵌まろうか。では、そもそもこの「水美しく流れよと」における主体の具体的な在り処については、一体どのように考えればいいのであろう。例えば、それは「蛇の衣」自身のものなのであろうか、それとも作中主体である「私」の胸中のもの、もしくはもっと他の超越的な主体に属するものなのであろうか。
こういった散文性をきっぱりと峻拒しているところがまさしく韻文である所以なのであるが、結局のところ掲句については、なによりもまず「蛇の衣」と「水」の流れの双方の関係性について把握しておくことが肝要であろう。なぜならこれらの言葉の関連性によって、句の中に、まるで風に泳ぐ鯉幟の姿態さながらに「幻の蛇」のイメージがその姿をまざまざと現前させるのであるから。そして、本来俳句にとっては原則的にタブーとされている「美しく」という形容詞が掲句において何故敢えて用いられているのか、その本当の理由がここで漸く理解されよう。即ちこの「美しく」という言葉は、その働きにより「蛇の幻像」の儚く幽玄なイメージの上にさらなる優美さと肌理(きめ)の細かさを賦活する役割を果たしているというわけなのである。また、「蛇の殻」ではなく「衣」という語の選択が齎す効果についても、ここまでみれば既に明らかであろう。
下村槐太という俳人には、このようにある種の幻視者とでもいうべき資質を多分に備えている側面がある。例えば他に槐太には、〈雁わたり幽霊の絵を掛けながす〉、〈無職日々枯園に美術館ありき〉、〈河べりに自転車の空北斎忌〉、〈冬の槇音楽ひつかかりたゆたふ〉、〈仏手柑放てる天つひかり盈つ〉などがあるが、その各々を注意深く眺めてみると、浮揚する幽霊の幻像、美術館内部を彩る原色の華やかさ、河べりの空に現前する幻の富嶽、揺蕩う音曲の虚実を交えた把握、眩いばかりの仏掌の幻影等といった、あたかももう一つの在り得べき現実の相のイメージがいずれの句にも密やかに象嵌されていることが理解できよう。
このように時間軸、空間軸を自在に漂動しながら現実の実態そのものを様々な角度から俯瞰、観照し得た俳人、それが下村槐太といえるはずである。
下村槐太は明治43年(1910)、大阪市生まれ。大正15年(1925)、岡本松濱の「寒菊」入門。昭和21年(1946)、主宰誌「金剛」創刊。昭和22年(1947)、句集『光背』。昭和41年(1966)、逝去(56歳)。昭和48年(1973)、句集『天涯』。昭和52年(1977)、『下村槐太全句集』。