好きなものは玻璃薔薇雨駅指春雷   鈴木しづ子

なぜ「玻璃」「薔薇」「雨」「駅」「指」「春雷」なのかは、ここでは関係ない。
本当に好きなのだ。
たしかに二音のものが多くて語呂が良いが、狙った訳ではなく、
本当に好きなものを並べたら、音も素敵で嬉しくなる、というような運命性を感じたい。
それでいて、この好きなものの羅列は、単純に楽しいものではない。
JITTERIN’ JINN 「プレゼント」(日本コロムビア、1990)はもらったものを羅列する歌詞だが、
もの(単語)、とは、それ自体で、感情表現の語彙よりも、受け手にさまざまな感情を与える。
人間は、単純な字の羅列にすら、意味を求め読み取ろうとするが、
こういったものの向こうにもなにかを見ようとしてしまう故、勝手に切なくなってしまうのだろう。
三橋鷹女の「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」の明るさと比較してみると、
「好き」という感情自体がすでに、センチメンタルな気分を帯びているのだろうと思い至る。

川村蘭太『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』(新潮社、2011.1)より。

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