【4】  目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹    寺山修司

広大な五月の空。そこに舞う一羽の精悍な鷹の姿。その鷹の存在を自らの守護神であると堅く信じ、誇らしげにうち仰いでいる一人の青年の姿。たとえ目を瞑ったとしても自らの内側には眩い五月の空が広がり、そこに悠然と君臨する一羽の雄々しい鷹の存在をはっきりと認め、その繋がりを互みに強く実感することができる。
  
まさしく掲句には青年の自らに対する自信と矜持がそのままストレートに表出されているわけであるが、むしろここではそういった表層的な部分における意味のみならず、その裏側に潜んでいるであろう作者の実際の内実にも目を向けてみるべきなのかもしれない。
  
何故なら、もし本当に自らの存在やその才に確と恃むところがあるとするならば、このような、自分は大いなる存在の寵愛を恣にしている、我こそは選ばれし者なり、といった自らを英雄に擬するポーズなどわざわざ誇示する必要はないはずであろう。掲句において、寺山が自らの存在を晴れやかに誇示する一方で懸命に覆い隠そうとしているのは、むしろ自らにおける心の弱さや不安感ということになるのかもしれない。自分自身の存在の弱さを秘匿する、もしくはその欠落部をどうにかして充足させたいという思いから、ここに強さの象徴である猛禽類の鷹が招来されているということになるのではないだろうか。
  
頬つけて玻璃戸にさむき空ばかり一羽の鷹をもし見失わば
  
同じ作者の第一歌集『空には本』に収録された短歌であるが、掲句とこの一首はそれこそポジとネガの関係にあるものといえよう。むしろこちらの短歌の方がその内省的なモノローグによる内容ゆえに寺山の心の内の本来的な在りようをそのまま物語っているようにも思われる。
   
関川夏央は『現代短歌そのこころみ』において寺山修司のことを「贋の金貨」と評したが、掲句は一人の青年の懸命な強がりとその身振りの健気さ、そして「五月の鷹」に象徴される雄々しさへの希求の切実さゆえに、金貨にも似た煌びやかな光彩を放っているといえるのかもしれない。
  
  
 寺山修司は昭和10年(1935)青森生まれ。昭和27年(1952)俳句雑誌「牧羊神」創刊。昭和32年(1957)『われに五月を』。昭和48年(1973)『わが金枝篇』。昭和50年(1975)『花粉航海』。昭和58年(1983)俳句雑誌「雷帝」を構想するも、47歳で逝去。

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