【6】  鯨の骨は櫂のかたさよ春の雷    山本紫黄 

この鯨の骨はおそらく博物館などで展示されているものであろう。恐竜の展示の場合と同じく、ここでは鯨の骨の一部分のみではなく、ほぼ全ての骨を用いて原寸大のサイズで再構成されたものが展示されているということになるはずである。

鯨は、水生の哺乳類で、おおよそ4、5メートル以上の個体のことを指し、ハクジラ類とヒゲクジラ類の2種類に大別されるという。

薄暗く静謐な室内に展示されている巨大な鯨の骨格。長い上顎、下顎を持つ頭骨から始まり、背骨がその後ろから嘗て尾鰭が存在した最後尾まで何メートルにも渡って伸びている。胸部の背骨からは肋骨が左右へと岐れまるで一つの籠を思わせる形状で宙を大きく囲い込み、そして、嘗て鰭であった前肢の部分の骨がその肋骨の最前部を起点に幾つかの分節を以て連繋し、扇状に分岐した何本もの鋭い骨をそのまま残存させた形で左右とも各々肋骨の外側を横切るように付随している。後肢の部分については、水中に棲息する生物である故か、よく使用され発達を遂げた前肢の骨とは異なりほぼ消失してしまっているようである。

その鯨の骨の総体が静かな威容を以ていま眼前に聳えている。その迫力に圧倒されながらも、近くの骨の一部分にそっと手を触れてみる。その手触りはまるで木でできた櫂のようである。「硬さ」ではなく「かたさ」という柔和さを伴う平仮名表記がその質感の微妙なニュアンスを伝えていよう。そして、鯨の骨に触れた瞬間、まるでなにかの啓示のように窓の外から「春の雷」が軽く閃いた。不意に時間や空間を越えて意識がひとりでに回遊しはじめる。「鯨」と「櫂」という語から連想される「海」の景観。また、同じ哺乳類でありながらもその一生を海で暮らす「鯨」と、それとは異なり陸上を拠点とし「櫂」などの道具を使用する人間という存在における各々の差異や宿命性へと思いは巡ってゆく。

海獣の跳びては沈む鳥曇

同じ作者による作であるが、この句のように眼前の鯨の骨も嘗てはしなやかな肉体を伴って生動し、大海原の覇者として実際に大洋を遊泳していたのである。その鯨が様々なドラマを経て、やがて人間に捕獲されるか、もしくは陸に流れ着くなどして地上に引き上げられ、最終的に骨のみの標本と化し、現在それが自らの眼前において無言で整然と存在していることの不可思議さ。

過去と現在、闇と光、そして静寂感と躍動感といった時空間の往還のダイナミズムから、やがて一切が大いなる静寂へと収斂してゆくかのようなある種の安息や眠りにも似た穏やかな感覚を伴った読後感。掲句の深奥からは、これまでに果てしもなく繰り返されてきた自然界における生命の絶えることなき生滅の拍動を感じ取ることができよう。

山本紫黄(やまもと しこう)は、大正10年(1921)生まれ。昭和24年(1949)長谷川かな女の「水明」で句作開始。昭和31年(1956)「断崖」に入会し、西東三鬼に師事。三鬼没後に「面」の創刊に参加。昭和41年(1966)「俳句評論」同人。父は俳人の山本嵯迷。近親に沢本知水、長谷川秋子、星野明世、山本鬼之介など。平成19年(2007)に逝去。句集『早寝鳥』、『瓢箪池』。