【9】  爛々と虎の眼に降る落葉   富澤赤黄男

 
落葉そのものが実際に爛々と輝いているというわけではないであろう。あくまでも輝いているのは虎の眼の方であり、その眼の表面に映じている落葉の形象が爛々と輝いているということになるはずである。ただの落葉が、虎の眼の中において光沢を帯び神々しく輝きながら螺旋状にひらひらと舞い落ちてゆく様子はまるでひとつの幻術を見るかの如くである。

落葉は冬の季語であり、それを地面より眺めている虎の様子は、厳しい冬の季節の最中にあってまさに「虎視眈眈」と春の季節が到来するのを雌伏し待ち続けているようにも思われる。そして、その寒さの中でも虎の眼は決して光輝を消失してしまうことなく爛々と強い輝きを放ち続けているということになるのであろう。

富澤赤黄男には他に掲句と同じく〈日に吼ゆる鮮烈の口あけて虎〉〈冬日呆 虎陽炎の虎となる〉〈密林の詩書けばわれ虎となる〉などの「虎」や〈日に憤怒る黒豹くろき爪を研ぎ〉〈黒豹はつめたい闇となつてゐる〉〈豹の檻一滴の水天になし〉〈凝然と豹の眼に枯れし蔓〉といった「豹」を詠んだ句が存在する。これらはいずれも作者自身の孤心と矜持をそのまま形象化したものということになろう。

また、これらの作品は所謂「花鳥風詠」などの作風と較べると、多分に過剰な色合いを備えたものであり、赤黄男にはこういった絢爛たる印象の句が多く、他にも〈夕焼の金をまつげにつけてゆく〉〈寒梅にあはれ鬱金の陽射かな〉〈赤い花買ふ猛烈な雲の下〉〈春宵のきんいろの鳥瞳に棲める〉〈夕焼の雲の裂けゆく 蝸牛〉などといった作品が見られる。
 
主にモダニズムからの影響が顕著と目される作者であるが、前出の「虎」や「寒梅」、「春宵」の句などからは意外にも「和漢」の要素が色濃く見出せるところがある。他にも〈瞳に古典紺々とふる牡丹雪〉〈屋根屋根はをとこをみなと棲む三日月〉〈冬蝶の夢崑崙の雪の雫〉〈めつむれば祖国は蒼き海の上〉〈沛然と雨ふれば地に鉄甲〉〈壁くらく「月落」の詩につきあたる〉〈大露に 腹割つ切りしをとこかな〉などといった句が見られ、またシュールレアリスムの影響下にあるとされる〈蝶墜ちて大音響の結氷期〉にしても、よく見れば随分と漢語の比率が高い。
 
無論、モダニズムの影響による句も〈海昏るる黄金の魚を雲にのせ〉〈膝の上に真青な魚がおちてゐる〉〈蛇となり水滴となる散歩かな〉〈黄昏は枯木が抱いてゐる竪琴〉など相当数見られるわけであるが、掲句や前出の句における絢爛たる色彩感覚及び和漢の要素を色濃く備えた作品内容については、それこそ葛飾北斎や歌川國芳、伊藤若沖などの画風を髣髴とさせるものがあり、このように見た場合富澤赤黄男の作風を成す特徴のひとつとして「綺想」もしくは「伊達」の要素を数えることができるのではないかと思われる。
 
 
富澤赤黄男(とみざわ かきお)は、明治35年(1902)愛媛県生まれ。昭和10年(1935)日野草城の「旗艦」創刊同人。昭和16年(1941)句集『天の狼』。昭和21年(1946)「太陽系」創刊に参加。昭和23年(1948)詩歌総合誌「詩歌殿」創刊。昭和27年(1952年)高柳重信らと「薔薇」創刊、句集『蛇の笛』。昭和33年(1958)高柳重信の「俳句評論」に所属。昭和36年(1961)句集『黙示』。昭和37年(1962)59歳で逝去。