【31】  冬日の車窓(まど)に朱きあかるき耳持つ人々   篠原梵

人の耳というものは、思えば随分と不思議な形をしている。外界の様々な音を察知するために、まるで緩やかな水輪の半分を軽く引き絞り立体化させたような形状を以て頭部の輪郭の外側に付随している。もしかしたらこの耳という器官の厚さというものは、人体の外側にあるあらゆるパーツの中でも極めて薄い部位に相当するものといえるのかもしれない。それこそ掲句に描かれている光景のように「冬日」にさえ「朱」く透けて見えるほどであるのだから。

掲句では、単なる「窓」ではなく「車窓(まど)」という表記が用いられている。それゆえ、描かれているのは、おそらくバスか電車の中における光景と見ていいであろう。「冬日」は、他の季節と比べて随分と低い位置から差してくる。この「冬日」が差しているのは、当然ながら進行方向のどちらか片側のみの「車窓(まど)」ということになるはずである。そして、その「車窓(まど)」の近くに座っている人々を、溢れんばかりの「冬日」が照らしている。

冷ややかで透明な「車窓(まど)」を通して広がる茫洋とした「冬日」のあたたかな光と、それを浴びている「人々」の「耳」の「朱」さ。おそらく車中に響いているのは車体の振動音のみであろう。誰しもが見憶えのあるまさに都市生活における風景の一齣をそのまま切り取った作品となっている。ここからは、それこそアメリカの詩人W・C・ウィリアムズ(1883年~1963年)の作品の世界が髣髴としてくるところがある。

また、全体的に7・7・8と破調であり、中七の「朱きあかるき」が説明的で少々饒舌といえるかもしれないが、その分だけ印象の鮮明さと言葉のドライブ感が強く印象に残る結果となっている。おそらくこの破調のリズムは、師である臼田亜浪の作風から由来するものと見ていいであろう。

篠原梵には、掲句のように視覚に重点を置いた作品が数多く見られる。〈ヘツドライト白地の人をふと捕へぬ〉〈日の高さを蕎麦の赤茎窓を過ぐ〉〈ゆふぐれと雪あかりとが本の上〉〈たそがれる窓を山吹退りゆく〉〈道の上の葉洩れ日からだを遡(のぼ)り次ぐ〉〈たばこの火蚊帳のきり取る闇に染(し)む〉〈西日の丘の小さき畑を小さき人打つ〉〈雪解田に空より青き空のあり〉〈きのふより濃き月光の障子なる〉〈寒の月夜ぶかく赭くのぼり来ぬ〉〈朝焼けの雪山負へる町を過ぐ〉〈さみどりのいまはましろくキヤベツ剝く〉〈花火尽きうしろすがたもなくなりぬ〉など、いずれも視覚に由来する「光と影」や「色彩感覚」といった要素が大きな特徴を成していることが理解できよう。

代表句である〈葉桜の中の無数の空さわぐ〉にしても、こういった視覚の作用が基となって成された作品といえるはずである。このように見ると、篠原梵という作者は、臼田亜浪の作風を基底としつつも、主に視覚で捉えたものを俳句形式の内において如何に明瞭なかたちを以て描き出せるかという点に強くこだわった作者といえるはずである。

篠原梵(しのはら ぼん)は、明治43年(1910)、伊予に生まれる。昭和6年(1931)、臼田亜浪の「石楠」入会。昭和16年(1941)句集『皿』。昭和28年(1953)、句集『雨』。昭和29年(1954)から昭和49年(1974)まで、ほぼ句作中断。昭和49年(1974)、全句集『年々去来の花』。昭和50年(1975)、逝去(65歳)。