【39】  百年もただのいちにち山椒魚   加藤かけい

思えば随分と奇妙な生物が存在するものである。「山椒魚」は俳句では夏の季語ということになる。ここでの「山椒魚」は、普通の「山椒魚」ではなく「大山椒魚」を意味するものと見ていいであろう。

大山椒魚は、「サンショウウオ」の種類の中でも最大の種であり、成体の全長は場合によってはおよそ1・5メートル前後にまで達するという。昼間は水面下の奥まった場所に潜み、夜に行動するとのこと。寿命については、一説にはおよそ100年程度生きるのではないかともいわれている。

寿命が100年あまりなら、まさに掲句の内容とそのまま符牒することになる。ただ、大山椒魚にとっては、そういった一生分である「百年」という長大な時間も、所詮「ただのいちにち」としか認識されないということになるようである。

こういった表現からは、まさに大山椒魚の悠揚たる姿がそのまま髣髴としてくるところがあるが、思えば我々人間というものもまた、この大山椒魚とさほど変わるところのない存在であるのかもしれない。寿命にしても、長命ならば人間の場合でもおおよそ大山椒魚と同じ100年前後ということになる。

思えば、そもそもこういった生命の寿命と不離不即の関係にある「時間」というもの自体が実に不可解なものであり、一応のところ過去・現在・未来と区分されているわけであるが、例えばその中の「現在」という概念一つを取ってみても、少し考えてみれば、相当に不確かな性質のものであるということが理解できよう。それこそこの「現在」というのは、いうなれば「瞬時に過去となり未来に連続するもの」であり、まさに「夢」のように捉えどころのない曖昧模糊としたものということになる。

こういった事柄をとりとめもなく考え続けていると、結局のところ人間の一生というものもまた掲句における「夢」にも似た「ただのいちにち」に過ぎないのかもしれないと思われてくるところがある。ただ、そのように考えてみても、ここからはさほど悲愴感が喚起されるわけではないのは、やはり大山椒魚の「ぼうよう」とした雰囲気の印象の強さゆえ、ということになるのであろう。

百年もただの一日。百年もただのいちにち。ひゃくねんもただのいちにち……。それこそ掲句からは、まるで悠久ともいうべき時間の中において大山椒魚とともに何時迄も延々と揺蕩(たゆた)い続けているかのような感覚をおぼえるところがある。

加藤かけい(かとう かけい)は、明治33年(1900)、名古屋生まれ。大正5年(1916)、大須賀乙字に俳句を学ぶ。大正8年(1917)、乙字没後、「ホトトギス」に投句、高浜虚子に師事。昭和6年(1931)、「ホトトギス」を離れ、水原秋櫻子の「馬醉花」に入会。昭和21年(1946)、『夕焼』。昭和22年(1947)、『浄瑠璃寺』。昭和23年(1948)、「馬醉木」を退会し、誓子の「天狼」入会。『淡彩』。昭和24年(1949)、『荒星』。昭和25年(1950)、『生涯』。昭和26年(1951)、「環礁」創刊。昭和27年(1952)、『捨身』。昭和45年(1970)、『甕』。昭和48年(1973)、『種』。昭和51年(1976)、『愚』、『塔』、『菫』、『山椒魚』。昭和54年(1979)、『定本 加藤かけい俳句集』。昭和57年(1982)、『遊幻愚草帖』。昭和58年(1983)、逝去(83歳)。昭和59年(1984)、遺稿集『下駄ばき詩人』。