【64】  網状都市図の網に干(ひ)る蛾々ぶらいかん   大沼正明

「ぶらいかん」は、やはり「無頼漢」の意となろう。掲句は、昭和61年(1986)刊行の『大沼正明句集』収載の作品である。同じ句集には、他にも〈灯の蛾ら蛾らは手淫の飛沫いえでにん〉〈ボクサー崩れとゆけば蛾の乱むしゅくにん〉などといった掲句と同様に「家出人」を「いえでにん」、「無宿人」を「むしゅくにん」といった漢字による表記を敢えて平仮名を用いた作品を確認することができる。

掲句については、下五を「無頼漢」とそのままストレートに表現すれば、一見強いインパクトが生じるように思えるが、上五と中七の漢字の印象と調和してしまい、意外にも逆に「無頼漢」の印象が薄れてしまうこととなる。ここではそれとは反対に平仮名による表記を採ることによって漢字表記との異和を生じさせ、常套的な表現とはまた違ったインパクトを一句の内にもたらそうとする意図が内在していると見ていいであろう。

「網状都市図」は、まさに現実の都市そのものの縮図であり、その「都市図」の外には実際の都市がそのままの形状で広がっているということになる。「網状都市図」の上に干からびている「蛾」の姿というものは、まさに「ぶらいかん」にとっての都市の混沌とした危険性をそのまま象徴しているものといえよう。ともあれ、ここからは実際の都市の只中に佇んでいる「ぶらいかん」の、その胸内に潜んでいる意地の存在というものを、まざまざと感取できるところがある。

大沼正明は、昭和21年(1946)に生まれ、仙台で育ったという。そして、昭和44年(1969)に上京。この作者には、掲句のような都市における生活を描出した作品がいくつも見られる。例えば〈友と貧しく馬券降るなか馬券降らす〉〈東北訛りのボクサー崩れの海鞘に親し〉〈他郷にありて失職の日の海鞘を啜る〉〈死も恋も無しハードルの刃に冬蝶〉〈無人派出所曲れば降る雪の千代田区〉〈酔いて得しスポニチ終車のシーツとす〉〈都市のわれらを埋め羽ふるスクリーン〉〈自嘲詩人みずから口を封ぜよ朝だ〉など、いずれも都市におけるやや荒んだ感のある生活模様が描かれている。

また、このような都市詠の中には〈霧の単車の遠のく二輪(ふたわ)よ母の乳よ〉〈昨日のレーサー鳥見えぬ鳥糞の岩壁〉〈溺死のような犀見え高速路の優しさ〉〈ハイウェイ濡れて雷映す青年の静脈〉などといった作品が見られるが、これはもしかしたらジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどに象徴される「ビートニック」からの影響と考えられるのかもしれない。こういった作品は、俳句では割合珍しいものといっていいであろう。

他に、この作者における大きな特徴としては、都市生活の中にあっても、出身地である東北の言葉や風土性を色濃く感じさせる句が姿を見せる点が挙げられよう。例えば〈生霊死霊の野末やむむむむ陰陽石〉〈こけしの喉に婆の毛陸奥の毛ふぶく吹雪く〉〈老婆(はは)ら野に非不未(ひふみ)よいつ無(む)……になる〉〈曼珠沙華姉に触るるは蛇か祖(そ)か〉〈家路冬へ又三郎と父どちら怖い〉〈小(ち)さき鳥居はこの郷の女陰(ほと)狐出でぬ〉など、いずれも東北の土着性をややメタフィジカルに描いた作品となっている。

大沼正明は、予定調和的な形式性への依拠を峻拒し、地方出身者としての都市生活と、自らの出身地である東北への思いの双方を深い愛憎と共に混沌としたかたちを以て描き出した作者ということができるであろう。

大沼正明(おおぬま まさあき)は、昭和21年(1946)、旧満州鞍山生まれ。仙台に育つ。昭和44年(1969)、上京。「海程」参加。昭和61年(1986)、『大沼正明句集』(海程新社)。