昭和十五年七月二十八日、出口一男発行
相生垣秋津句集『白毫帖』
友人に僕と同じ歳のホリキリさんって人がいて、これ見てよとスマホの動画を見せてくれました。
そこには、麒麟の髪に掴みかかる先輩俳人の☆さん(三十三歳)が映っていました。負けずと麒麟がヌオオと払い除けると、☆さんは路上でコテンと転けて、やがてすくりと立ち上がり、体育の授業で習ったとかいうデタラメ太極拳で襲いかかってきます。僕は両手を掲げ獣のようににキシャーと威嚇をし、松尾さんがまぁまぁと間に入り、皆酔っ払いながら二次会へ・・・。
二次会には女子会をやっていた敦子さんやレーナさんやA子が・・・
なんていうかこう、時には野蛮でありたい。好きに飲んで酔っ払いたい、ねぇ、☆さん。
さ、秋津さん、今回で最後です、読んでいきましょう。
遠山のそこにきてゐる栗拾ひ
この句がなぜだかとても気になります。句集の後半に来るとますます秋津さん独自の美意識と好みが色濃くなってきます。この句の不思議は飽きがこない事、でもそれがなんでかなぁ。
ひとかけの乾隆墨や冬籠
古墨です、しかもひとかけの、秋津さんの世界の一つの完成形がこの句あたりではないかなぁ。好きな句です。
南京の絵皿をかけて冬籠
これも「支那の」とかではつまらない。南京のってのがいい。
いつくしぶ馬の目皿や冬籠
馬の絵皿と言えば白洲正さんが流行らしたとか話があるけれど、そのずっと前に秋津さん、いつくしんでいらっしゃる。
水鳥のたむろしてをり夜も見ゆ
一句が波のような、水のような。
六曲をひろぐことなき屏風かな
大きいから
六曲の山河けはしき屏風かな
最近鉄斎がとても気になっています。図録でいいから買おうかな、なんか元気出るんですよね。
おでん屋のおぼへめでたくなりにけり
にこりともせず、ムシャムシャ一気に食うおでんって美味しい。
よどみなき人のながれに暦売
はい、これ最後の句。なんだか暦売がもう一人の自分のようです。
最後に秋津さんの言葉を引用します。
「夜は土のやうに眠る。そして昼は天のやうに明るくありたい。」
瓜人とも、たかしとかとも違う秋津さん独自の世界でした。今回で秋津さんはお終い。第二句集もあるはずなんですが、見つからない、誰かやらないかなぁ。
さ、次は何やろうかな
ばーい