先生が言ってたあんな事そんな事

(赤星水竹居著『虚子俳話』講談社学術文庫、1987)

 

わたくし、茶髪ではございますが、こう見えて会社員、朝早くからぎゅうぎゅうの小田急線に乗っております。電車の中は暇なので、愛用のCDウォークマン(きゅるきゅるうるさい、電池の消耗が激しいところが可愛い)で巷で流行りの音楽やらを聞いたりしてましたが、乱暴な使い方故に、惜しまれつつも壊れてしまいました。もうあとは読書ぐらいしか楽しみがないわけです。さてさてそこで難しいのが電車の中での読書、通勤時間に難しい本なんてとてもじゃないけど読めません。そこでオススメがこれ!講談社学術文庫、赤星水竹居著『虚子俳話』、これね、まず、薄いので軽い!(これ意外と大事)、わかりやすい、面白い、ね、良い事ばかり、今回はこの本の紹介をさせていただきます。

 

どんな本かとわかりやすく言いますと、高弟の水竹居による、虚子先生言行録ですね。面白いところは水竹居だからこそ言える部分がかなりあるところ。ちなみに水竹居は句会で虚子の選に入らなかった事に腹をたて、いつもは車で送り迎えをしているのに(これ特権)、その日は虚子を置いてプンスカ帰ってしまったというほほえましいエピソードを持ってます、そんな人が書いてるんだからそりゃ面白いです。

 

まぁひとまず読んで行きましょう。

 

ある日の問答。
素十問う。

 

(あ、僕、もう、ちょっと楽しい)

 

又一つせんべいの蠅五家宝へ

素十

この俳句は先生の選にもれたが、品の悪いところがいけないんですか。

 

(わー、素十さん言うね、普通はそんな事聞けません、そもそもこれあまり良い句じゃないと思うんだけど)

 

先生曰く。

品もよくないが、それよりも正しい興味でないように思われてとらなかった。もっとも一概には申せぬが。

 

(正しい興味って言い方は面白いですね、反発したい方も居らっしゃるとは思うけれど、一概には・・・のボカシ方がまさに虚子。)

 

某問う。

 

(ここがね、気になる、誰だろ・・・)

 

唐黍の葉より末枯れはじめけり
たけし
この句はいかがです。
先生曰く。陳。

 

(タハっ!陳って!?短っ!みんな使いましょこれ、麒麟さんこの句どう?曰く、陳っ!とか)

 

ある日発行所の句評会で、いつもの通り弁当を食いながらの雑談の中に、誰かが、

先生、月並というは陳腐ということですか。

と虚子先生に尋ねると、

 

(うわぁ!弁当を食べながら大事な質問出ちゃった、聞きたかったけど聞けなかった月並って何?って質問が弁当食べながら出ちゃった、昨日巨人勝ちましたっけ?みたいな軽さで出ちゃったよ)

 

先生は、

そうですね、まあ陳腐ということもありますが、それよりむしろ嫌みのある句といった方が近いでしょうね。

と言われた。

 

(虚子先生、こうやって見ると優しいですね、月並ってわかったようなわかんないような表現なので、この話はなかなか貴重。)

 

某問う。
先生、少年の作った俳句を見ると、その純真さにどれも採りたくなりますが、本当にいいんですか。

 

(わー、攻めの質問)

 

先生曰く。
少年の俳句は、純真は純真だが、深みがありません。やはり少年俳句は、少年俳句として別に取り扱った方がいいようです。

 

(へー、うん、純真なだけではだめなんですね、これもまたなかなか興味深い話、虚子や立子の俳句を純真なだけの俳句とどう違うかを読み比べてみると何かわかるかもしれませんね)

 

先生曰く。
入選しても入選せんでも、いつも同じ顔してよく句会に出てくる人、将来必ず大成する人です。

 

(しぶとさに繋がる鈍さというようなものを大事にしようとしていたんでしょうね、でもね、なかなか、だってにんげんだもの)

 

人柄が見えて面白いのが次のエピソード

 

ある場所で若い女学生が先生の側にきて、

先生、童謡と俳句のことについて少しお話を伺いたいのですが。

 

(ん?童謡?虚子先生に?)

 

と言うと、

先生曰く。

私は童謡のことは少しも分かりませんから・・・・・


(あはは、そりゃそうだ、でもこの知らないのを知らないと言うあたりは立派)

 

この間山会のあとで雑談に耽っていると、

先生曰く。

お能の狂言などに、よくそんな心持が現れていると思いますが・・・。私は世の中をおかしく笑って暮らしたいと思います、つまり世の中を滑稽に観て・・・。

某問う。

先生、その滑稽というのは、つまり俳諧の原始時代の、あの滑稽味のようなことですか。

先生曰く。

違います、・・・もっとずっと上品な滑稽味ですね。

 

(この話も虚子がどう滑稽を考えているかのヒントになるのでは、正しい興味、上品な滑稽、虚子の俳句を読む際の新しいヒントになるかもしれませんね。)

 

先生曰く。

人を攻撃して喜んでいる人たちは、攻撃をするために自然に亡びていきます。

 

(ね、気をつけていきましょう)

 

紹介した話はほんの一部分なのですが、あまりここで引用すると水竹居さんに悪いですので引用はこんなもんで。
虚子の美意識、というよりも好き嫌いが見えて読み物としてとても面白いかと思います。

 

それにしてもこの本の中のホトトギスはなんとも、ゆったりと自由で居心地が良さそうです。結社にとって一番大切なものの一つは居心地かもしれません。

 

あ、ここまで書いておいて今さらなんですが、できれば怒らないで欲しいのですが、この本実は今絶版なんですよ、ただ古本としては簡単に手に入るレベルですのでみなさん探してみてくださいね。

 

それではまた!

 

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