平成14.6.30 富士見書房刊行
『飯島晴子全句集』より。
実は我が家にはパソコンがある。そしてなんとプリンターもある。印刷したり、コピーしたり出来るらしい。
結婚してしばらくすると、A子が俳句の原稿のために必要だろうと買ってくれたのだ、偉いでしょ。
僕は原稿依頼をいただくと、100均で買った大量の原稿用紙に手書きで下書きをし、それを携帯に打ち直し、完成形を我が家のパソコンのアドレスへメールを送る。
そうすると、A子がパソコンで校正をして、出版社にメールを送ってくれる、という流れになっています。
たまたまA子が外出している時にパソコンを使う必要があって、僕にも出来るだろうと思って、つついてみたら、これがいけない、全く出来ない。
叫びながら一時間ほどパソコンと格闘した結果、たかだか10句を打ち込み印刷する、これだけのことが出来ませんでした。
僕は卒論をパソコンで書いたはずなので、この十年で、パソコンの世界も随分変わったのでしょう。
世界中の人には便利かもしれないけれど、僕にはそうでもないもの、それがパソコン。
『平日』を読んでいきます。
竹馬に乗つて行かうかこの先は
前書に「七十五歳の誕生日に」とあり、この先は、に遊びがある。
灯台の二月小さく深き窓
深きに工夫。
郵便屋さんにも見せて雪兎
可愛い句だけど、老いを自分で笑っているようにも見える。
手に当りこつんと源氏螢かな
螢でこつんは新しい。
大空の必死のいろに冬ざくら
もっとも鋭い感覚でいられるのは冬。
月見草ここで折れてはおしまひよ
月見草は心に生えているのかも。
死の如し峰雲の峰かがやくは
死は激しく、強いエネルギーを持っている。死のエネルギーとは矛盾しているようだけど、詩の世界ではそれがある。
かくつよき門火われにも焚き呉れよ
強い魂には強い呼びかけを。
毒茸真つすぐに夢見る如し
危ういものだけが、美しい。
松手入手元に松の影細(くは)し
あぁあの松の一本一本まで見える、見えてしまう。
朝酒の老人と見る冬怒濤
最高と最低は近い。激しいものは清々しい。
枯蓮のうごくときなどあるものか
動くとき来て動くものか。
鳥総松よそにはよその灯がついて
「よそ」の語の涼しさ。
紅梅の闇に眼の腐(くた)れけり
眼は闇に浸されて。
春さきや土竜はちやんとしごとして
土竜はちゃんと可愛い。
足もとに鱰(しいら)何ともいへぬいろ
鱰の何が良いかと言えば、名前だと思う。シーラ、しいら、鱰。
合歓の花渡りし橋の数あはず
いくつかは夢の浮橋。
墓洗ふいまだにかくも力込め
死ぬまでに消えないものがいくつか、それを擦っているかのような句。
俊成卿九十の賀の雛屛風
俊成は定家より好きです。長生きなところもいい。実は自分の句集名を『鶉』としたのは、俊成の影響もあります。
夏鶯さうかさうかと聞いて遣る
さうかさうか。へー。
いまは見えない海へ夏障子あける
ないけどある、海。「ないけどあるもの」を探ろうとした作家なんでしょう、見えるものの宿命のような。
葛の花来るなと言つたではないか
代表句。さみしさと厳しさと。
そのうちに隠れ住みたき鴛鴦の沼
隠れ里には沼を、よき沼を。
なぜかしら好きになれない金魚かな
小さくて、可愛いくて、嫌いな。
ただ鋭いだけではない味わいのある句集でした。もう一回、初期作品を来週やって晴子さんを終えようと思います。
じゃ
ばーい