斎藤茂吉でもんもんもん『つきかげだもん その1』

『斎藤茂吉全歌集』(筑摩書房、1968)

『つきかげ』を読む

チャラリ~(悲しげなメロディ)

A子へ
怒らぬと言うのであるならば、言わない事もないのだけれど、怒らぬかね?いやいや何事も芸事とね、君の理解の深さにはいつも感謝をしているのだよ、苦労をかけてすまないね、あ、明日のお握りの中身は梅が所望でござる、いやいや、本題にもどるとだね君、いやさ、先日T書店にね、いや、あそこは安いじゃない?僕も生活を考えてだよ、ほら、きりんの部屋、書かないといけないじゃない?あぁ、スピカの話ね、僕書いてるじゃないか、そうそう、あれ、アワアワとかのやつ、で、ほら、あの、僕の十年後とかを考えるとね、えと、ほら、茂吉がね・・・、僕茂吉好きじゃないか、ね、知っているだろう?僕、麒麟、茂吉、好き。それでね、あのね・・・

『斎藤茂吉全歌集』買っちゃった!ヒャホ~!いぇい!

あの・・・だから、今月のディズニーランドは、・・・無しの方向で検討しないだろうか?

痛いっ!馬鹿者、僕のつげ義春全集に何をするか!よせっ、飴山實全句集だけは・・・、おのれ、師系を何だと思っていやがる、あぁごめんなさい、謝る謝るこの通り・・・。

とまぁ一人で書いてるわけだけどね、そもそも僕はディズニーランドになんか行かん、でも茂吉やるのはほんとです、しかも遺歌集の『つきかげ』からやります、これね、あまり言われないけど面白いんです、どうです、茂吉?今時のヤングな俳人の方なら読んでいたとして『赤光』『あらたま』よく読んでいる人でも『小園』『白き山』ぐらいじゃないですか?ちっちっちの『つきかげ』、さ、読んでいきましょう、大丈夫、面白いから!

昭和23(茂吉67歳)

雪のうへに立てる朝市去年より豊かになりてわれ釘を買ふ

釘を買う・・・、ささやか過ぎるでしょ、茂吉先生

夕映えのなかにうかべる富士山を外国人のごとく立ち見し

オー、フジヤマー

青山の墓地にやぶ蚊の居ずなりしことを聞きければしばし驚く

マジでっ!?て茂吉先生が言ったとか言うわけないとか

人間は予感なしに病むことあり癒(なお)れば楽しなほらねばこまる

確かに

欠伸すれば傍にゐる孫真似す欠伸といふは善なりや悪や

えー、うん、善という事で。

この體(からだ)古くなりしばかりに靴穿きゆけばつまづくものを

古くなっちゃった、と考えるところがちょっと感覚が違う、年を取るというより古くなる。

肉厚き鰻もて来し友の顔しげしげと見むいとまもあらず

肉の厚さに注目するあたりが鰻好き

豚(とん)の肉うづたかけれど「食はざればその旨きを知らず」噫

嗚呼って、先生・・・。

残念はあるか無きかの如くにて二階にのぼり真昼間も寝(い)ね

昼から寝てるだけなんだけど、改まって言うとなんだか可笑しい

税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりああ馬のかほ

だから、嗚呼って!タハハ、馬のかほって!?なぜだか可笑しい

隣人の庭の木むらに朝な朝なわれにも聴けとうぐひす啼くも

隣人の庭にしかいないとこがうらやましく悔しいのだけど、やっぱり聴く。

現実は孫うまれ来て乳を呑む直接にして最上の善

まぁそうだね、で済む内容だけど、直接にして、という表現が可笑しい。

われもまた年は老いたり孝の子と人はいふとも否も諾(う)もなし

この時茂吉先生、結構な(当時を思うと)年齢です、そこのところを考えながら読むと可笑しい

あかあかと咲きたる梅の下かげに雛をひきゐしめんどりひとつ

母では無く、お母ちゃんを感じる

あまつ日の照りたるなかにくれなゐのかうべをあげて軍鶏は鳴きたり

こんな時こそ、嗚呼!と鳴きたいぜ

めんどりもをんどりも皆仲よくてこころ楽しも死にいたるまで

ほのぼのしているようで、死にいたるまで、って表現がちょっと怖い。

麒麟「死にいたるまで仲良くしようね!」
・・・怖いでしょ

老身のひとり歩きをいましめて友は日暮れぬうちに帰りぬ

口うるさく言うわりに心配してかまってくれる友達はありがたい。

麒麟が友達からよく言われる事
1、まだ東京に居るの?
2、その給料でやっていけてるの?
3、いつまで茶髪なの?

う、・・・うるさい!(ウソよ、みんな大好き)

小田急に乗りて新宿に出で来しが間もなく暇なく息(い)ぶくならずや

小田急に乗って新宿に来て、あとボヤいている。

うつくしき顔がにほひてまぢかくをとほりて行けりわれはまたたく

嬉しかった事をわざわざに歌にしてみました、もう、可笑しいなぁ、タハハ。にほひて、がミソ。

われ病んで仰向にをれば現実の菊池寛君も突如としてほとけ

悲しみよりも、あれっウソっ、え?みたいな感じがリアルに感じる。

あつまりて歌をかたらふ楽しさはとほく差しくる光のごとし

なんて言われたらまた歌会(とか句会にね)に行くなぁ

平凡にかくのごときか浅草の梅雨(ばいう)に濡れてわれはゐたりき

そういう事じゃなくて、傘をさすべきなんだと思う

ホルモーンの内分泌説を否定せずぐづぐづしゐて吾が世しまひか

なんだかなぁ、ぐづぐづとしていて面白い

鰻の子さかのぼるらむ大き川われは渡りてこころ楽しも

鰻が好きなら、鰻の子も愛しい、大きくなったら食べたい的な。
川のぼる、で真っ先に鰻の子は普通出て来ない

銭湯にわれの来るとき浴槽(ゆぶね)にて陰部をあらふ人は善からず

いやぁ、笑ってしまう、可笑しいでしょ?だからですね、茂吉は確かに偉大なんだけど、こういう歌も覚えていけば、もっと身近に感じられると思うんですよ。
う~む、立派だ、じゃなくて、タハハ、何言ってんだか、と少し楽しんでみましょう。

ここに来て狐を見るは楽しかり狐の香こそ日本古代の香

これは有名な歌ですね、茂吉が詠むと匂いに執着心があるような感じがしてなんだか興味深い。

二階より下りてゆかざる一時間孫の走るおとしきりにすれど

気になるんだけどね

どうですか?『つきかげ』の一回目、今はできるだけ部屋の茂吉入門書等を見ずに、僕の目で面白い歌を探すようにしています、茂吉、僕が飽きたらこのシリーズは終わるけど、今のところ全然飽きそうにないのでボチボチやっていきます。

そんじゃ
バーイ