モテキみたいにキョシキって言ったら虚子忌みたいだね 2

(昭和49、毎日新聞社発行)定本高濱虚子全集第一巻「五百句時代」を読む

ポケットに入れた小銭をジャリジャリ鳴らしていた無職23歳の頃(あら結構昔だわあ)、とにかく食わないといけないので、賃金が週払いだという理由で警備員のバイトをしてました。たまにぼーっとするとあの頃出会ったおじさん達の事を思い出します。

僕の所属していた警備会社はなんというか、「安い」が売りでしてとっても質が悪くてですね、こんな奴ら何も守れないだろ・・・、みたいなおじさんばかりが所属していました。警備員というのは無線機を持っていて、ゆるい現場では結構無駄話してるんです(あくまでも僕のバイト先の話で、世の中のちゃんとした警備員の方は頑張って働いてます)、おじさん達は毎日、キャバクラ、風俗、パチンコ競馬、宝くじの話をしていて、高学歴、外車、いわゆるエリートの悪口ばかりをぐちぐち言っていました、結局みんな週払いの賃金を一週間でなんとなく使いきり、いつまでも同じ現場にいるのです、僕は毎日ボケーっと無線でそんなおじさん達の話を一日中無線で聞いていて、 毎日がただただ虚しく、生きていくというのはなんだかとっても残酷だなぁ、とため息ばかりをついていました。

僕が短歌でも川柳でもなく、俳句を選んで良かったなぁと思えるのは、次の季節までなんとな~く生きていこうと思えるところです、なんとな~く、紅葉が終わって冬が来て、正月、桜の頃、ほととぎすを聞くまでと、なんとなく生き延びていける気がするのです、どんなに辛くても、どん底でも最低でも、次の季節の言葉達が待っていてくれてる気がするのです、僕が無季の句を読んでも、無季の句を作る事は無い(多分これからも作らないと思う)のは、きっと僕だけなんだけど、ノイローゼになってしまうんじゃないかと怖いんです、なんとな~く僕は季語に希望を感じているのかもしれません。

なんでこんな絶望的な事を書いたかと言いますと、虚子を読んでると、あぁあの頃の僕に見せてあげたいなぁって思ったんです、虚子の俳句は、爆笑する事もゾクッとする事も滅多にないけど、なんとな~く癒されるんです、さ、先週の続きの虚子をやろう、面白い俳句や、出ておいで~

今日は明治32~

五月雨に郵便遅し山の宿

待ってます、山の宿が良い味です

目洗へば目明らかに清水かな

気持ち良かった

夷講に大福餅もまゐりけり

前書きに「子規、小庵来訪、闇汁会を催す」とあり、・・・闇汁に入れたらしいです、大福餅、えと、それを記念しての一句。

余り長き昼寝なりけりと起されぬ

あまりに長かった、虚子はすやすや眠りそうですね

かはり合ひて先生の餅をつきにけり

あぁ微笑ましい

十ついて百ついてわたす手毬かな

手毬結構好き

山眠る如く机にもたれけり

気持ち良さそう

唐辛子乏しき酒の肴かな

コンビニまで行くのもめんどくさいし、って無いかコンビニ

秋晴や前山に糸の如き道

すーっとひょろっとした道が見えます

我土に天下の芋を作りけり

ドヤっ

盗人が芋掘り去つて主泣く

おぉっひどい!天下の芋が・・・

銭湯に人走り入る冬の月

おぉ寒い寒いと、庶民的な味がある句

先づ食うて先づ去る僧や心太

心太が妙に涼しくって良い

無用の書紙魚食ひあきて死ぬるらん

書物ほど人によって価値の異なるものはないですよね、火事になったら通帳より本を持って逃げたい

と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな

なんの話かはあまり聞いてなさそう

春の夜ををかしがらせぬたいこもち

春の夜が明るくて優しい、落語や歌舞伎に出てくるたいこもちは好き

ひややつこにて飲み明かす貧交行(ひんこうこう)

痛飲したい

芋の味忘れし故に参りたり

なんてシャイに言ってみたい、それにしても芋好きだなぁ、なんか愛を感じる

やっと明治時代の句が終わりました、改めて読むと楽しい俳句がたくさんありました。次回は大正から。虚子先生、なんとなく明るい気持ちになりました、ありがとうございます。あ、なんか芋食べたくなったなぁ。

そんじゃまた、バーイ