昭和49、毎日新聞社発行『定本高濱虚子全集 第一巻』「五百句時代」を読む
昔とある飲み屋でのお話、芭蕉兄さん(仮名)が、「古いは受け入れますが、古臭いの臭いは余計です」とタバコをプカプカされながら仰って、きよ子姉さん(仮名)が「でもあなたが今作っている俳句は古くないでしょ?」とこちらは日本酒を片手に持って攻めて行く、僕は隅っこでゴクゴクお酒を飲みながら、おぉ!今面白い話だ、と聞き耳を立てていました。あれももう一年以上前かなぁ、休日に虚子全集を読んでると、あの日の事をなんとなく思い出しました。
この俳句は新しいかどうか、これが前衛である、これは過去のあれをこうしただけで別に新しく、いやだいたい芭蕉の頃から、連歌が、これは面白いかもしれないけど川柳にはもっと・・・
そういうのは、僕の書いたもの読んだ事ある人は気づいているでしょうが、僕、あんまり向かないので言いません、虚子ってでもね、とにかく飽きない、そこがすごいのかなと。面白い事やってても、それもまた飽きない、なんなんでしょうね、掴もうとしても何だかニョホホとクネッとかわされてしまいそうな、なんなんでしょうね、ま、今はわかんないけど、探っていくのもまた楽しいわけで。
よし今日は大正からの「五百句時代」です、はい読むよ~
鎌倉のここ焦がしたる野焼かな
ここをね
馬叱る声氷上に在りにけり
こらっ、駄目でねぇか、氷がきれい
俳諧に日々腐つ身を蒲団かな
抜けられないやめられない、・・・腐つ身かぁ
狭き町の両側に在り種物屋
狭き町だからって狭き町と言ったところが良い、儲かるのかなぁ二軒もあって
福を待つ床の置物夏座敷
なんか良い事ないかなぁとぼーっと待ってるとこが良い
この闇のあな柔かに螢かな
ふんわりしてる
高原や栗の不作に蕎麦の出来
そうなんだって
灰の如き記憶ただあり年暮るる
灰がやわらかであたたかで、思い出によく合ってます
地球凍てぬ月光之を照しけり
地球凍てちゃった、照すが優しく明るい
料理屋は皆花人の下駄草履
ちなみにホトトギス発行所例会みたいです、楽しそうですね
蟻の国の事知らで掃く帚かな
ごめんよ蟻さん、この見てるんだけど別何にも言わないところが面白い
葡萄口に含んで思ふ事遠し
色々あったなぁ、まぁ良いかぁ、とか思ってて欲しい
東に日の沈みゐる花野かな
楽しそうだなぁ、のびのびはしてるけど、春ほどぼけてはいない、花野が良いんだろうなぁ
静さや花なき庭の春の雨
草や雨、雨の音や温度を楽しんでいるところが虚子
生涯の今の心や金魚見る
わっ、何これ!すごく好きです、やっぱり読み返すもんだなぁ、うーん、良い!ここで金魚なんですね、可愛くて綺麗で小さかったりデブリンコだったり、でもやっぱり寂しかったりもする金魚、あ、僕金魚好きなんですよ、そしてこの俳句も大好き。見る、とさりげなく付けられるようになるには、僕はどれぐらい時間がかかるのかなぁ・・・、あぁ楽しい
浴衣着て老ゆるともなく座りけり
綺麗に老いたい
涼しさは空に花火のある夜かな
ガリガリ君(アイスの)ぐらい気持ち良い
この森の常に露降る蝸牛かな
きらきらしています、蝸牛によって不思議な時間を感じさせます
胡瓜歯に鳴り友情は面にあり
気持ち良い、大人の友情もまた美しい、あははなんて言って胡瓜かじって昔話なんかして
大正6年まで読んでみました、うーん、なんでだろう、少し疲れが抜けるんです。虚子を読むと、心が軽くなる。良いこっちゃ。
じゃあまたね、バーイ