植物祭4

私には夢がある、ってな名言がありましたね、僕にも夢があって誰かの広大な庭に庵を建ててもらってですね、「麒麟庵」とでも名付けて朝から晩まで俳句の事だけ考えたい

手鞠とか歌留多で遊んでさ

近所の子供たち「わー、麒麟先生ー、俳句教えてー」

麒麟翁「ほいほい、みんな元気じゃな、ほれ金平糖をあげるよ」

優秀で若くてしかも僕に優しい俳人「麒麟翁!関東のいざこざの仲裁を頼めませぬか!もう先生にすがるしか、この通りでございます、これはとらやの羊羮であります、お口に合えば大変光栄…」

麒麟翁「よいよい、みんな仲良うせねばならんぞえ、小さな俳人になっちゃならん、あっちの結社、こっちの結社、縮んだ考えをしちゃならんぞ、どれ、甲斐のゆーむ爺に手紙を書いてやろう、ふぅ、サキ婆さんも108歳か、まだまだ元気じゃな、はっ!?ワシ同じ歳じゃん…」

昨日村上さんがロト当てたら庵を建ててくださると約束してくださったので、僕は毎日村上さんがロトを当てる事だけを祈っています。

ふぅ、佐美雄を読もう

壁の鏡にカーテンが三部ほどうつりゐる位置で本よみてゐる

そうですか、なんて言ってはならない、この「三部ほど」を喜ばないとだめ、僕は好きよ、サミオさん、あ、ユキオさんも好きよ、イナオさんも

せめてわか寝顔だけでもやすらかに映りあれよと鏡立てて寝る

鏡に映りながら寝ようという感覚がなんだか怖い、やすらかに、って詠んでいるのに、やすらかじゃない歌、でも好きよ

この室の気持をあつめて冴えかへる恐ろしい鏡なり室ゆ持ち去れ

鏡に対するこの神経質な感覚が素敵、セチガライ世の中だから、針金のような神経で生きるのは折れてしまいそうで怖いけれど、針金のような歌を読むと、心にブルブルしみる

夜なかごろ気持がふいにうごき出し夜明けも知らに室かたづける

わかるわかる、夜中にふっと心ざわつく時があります、安らぎたい時は虚子か佐太郎を、もっとざわつきたい時は木枯さんか佐美雄を読みます

耳たぶがけもののやうに思へきてどうしやうもない悲しさにゐる

なんだか佐美雄さんには申し訳ないですが、笑ってしまいます、タハっ、佐美雄の短歌は、もうほんとにダントツで天才だと思ってますが、あまり祭り上げるのではなく、たまにはタハっと楽しみましょう、悲しいは可笑しくて良いし、その方が救いがある

この体うす緑なる水となり山の湖(うみ)より流れたくぞおもふ

こう、すぅーっとね

さんぼんの足があつたらどんなふうに歩くものかといつも思ふなり

こう、なんて言うか、ひょこひょこ

牛馬(うしうま)が若(も)し笑ふものであつたなら生かしおくべきでないかも知れぬ

佐美雄の短歌の中で最も好きな歌のひとつ、どうですかこのウシウマの気持ち悪さ、こう、ニカーっと、うわっ、怖っ…。どうして笑顔には気持ちの良い笑顔と怖い笑顔があるんだろう、これは怖い笑顔だと僕は感じます、この「笑うなっ!」っていう爆発しそうな思いが良い。

いますぐにテニスしに行くわれなれば果物の露はしとどに吸へり

佐美雄さんの時々見せる可愛らしさがたまらん

夏ふけの草木照りあふ真日なかにわれらしやがんで蟻を見てをる

「われ」じゃない、「われら」が
良いんです、僕はネクラが好きだし、ネクラである事は素晴らしい事だと思っています。

これから仕事なので短いけど、ま、こんなもんで、あぁいつの日か麒麟庵に住んで、週七できりんのへやをアップさせて、くくくと一人喜んでみたい、さ、働きに行こうっと…

バーイ