まつもとさん、戦後って色々ありましたねぇ4

              昭和63.2本阿弥書店発行『まつもと・かずや戦後俳句集』

 

お酒に弱くなったなぁと強く感じています。

えーと、昨日は…、ビールが二杯に焼酎をロックで一杯に泡盛をロックで三、四杯、あ、赤ワインをグラスで一杯、それぐらいだったはず。

いつもの飲み屋に行くと、ばったりと、ヒロシさんに会って、おぉラッキー!今夜は御馳走よ!いぇい♪

やがてじゃんじゃん飲ませてもらい、食べさせてもらい…、このヒロシさんという高貴なお人は、会うたびに「会っちゃったよ、麒麟またいやがった、まいったなぁー」なんて言いながら、たらふく食べさせてくれ好きなだけ飲ませてくださる、あぁ神様ではないかしらん。僕は石にヒロシさんを彫りつけて朝晩拝んでいるのです。

あぁヒロシさん銀座のクラブに、あのクラブにもう一度、ぶつぶつ…

毎日拝んでいるのですよ。

えーと、それで大分飲んで、店内はすでに俳人しかいなくて…

うーん、酔った、酔ったぞお

ここから記憶があいまい…

あ、小石さんがぐびぐび飲んで踊ってる

あ、うさぎさんがぐびぐび飲んで踊ってる、キレが良いなうさぎさん

あ、敦子姉さんがこりゃまたぐびぐび飲んで踊ってる、元気だわぁ

うふふ、みんな楽しく踊ってる、こんな時代がいつまでもつづけば…

あ、家だ、我が家だ、帰ってきたぞー

と泥酔で我が家に帰り、シャワーが浴びたくなって服を投げ捨てシャワーを浴びる、いやぁ危ない危ない。

そして朝、気が付くとパンツ一丁で布団も掛けずに寝ていました。

いやなに、暦の上ではもうすぐ秋ねって話でさぁ。

さ、先週の続きやろっと

昭和37年(まつもとさん『口語俳句』に「俳句は長くなくてはいけない」を書く)

●血を買う自動車がくる何人も何人もいっさいしゃべらずに乗る

時代が時代なら、多分僕も血を売ったりしたと思う、危ない危ない

●今日も原爆症で死ぬどうにもならないことだと片付けられている新聞のすみ

もっと怒らないといけない

昭和38年(ケネディ大統領暗殺)

●知ってる人みんな死に夜は町内会の電灯がつく東京の場末

東京の明るさは何だか寂しい

昭和39年(「ミロのビーナス」上野で公開。東海道新幹線開通。東京オリンピック開催)

●年とって働くことが当然なら子ども生んでおいたきんたまがわびしい

おぉ…、わびしいかな

●きんたま二つ年寄りにもぶら下がりそのまま養老院へ

楽しいジーさんに憧れる、昼酒で浅草で遊んでいるような、難しい事なのかな…

●ストの鉢巻とったら美しい娘部長とできている

おのれ、スケベ部長め

昭和40(ベトナム戦争本格化、各地で市民運動)

●明日はまた戦争ベトコン少年の骨小さく

僕の生まれるわずか18年前、ベトナム戦争があったんだなと…、世界各地の様々な出来事は他人事じゃない。

昭和42年(まつもとさん『口語俳句』を創刊、主宰。吉田茂国葬)

●花が咲けば花だなと思い女の支度は長いなら長いでいい

余裕ほど良いもんはない、僕にはあまりないけど…

●人間狂った方が同情されこっちは冷や麦で水ぽんとおかれる

優しく置いて!

あぁ、今週も激しかったですな、そいじゃまた

ばーい