茗荷の花

国立のNHKの講座、帰りがけのこと。
受講生の方のひとりが、ちょっとちょっとと手招きするので、
なんですかと近づいていくと、この茗荷をくださった。

茗荷の花だ!

すでにかなり黄色くなっているけれど、もっと透き通って、
きらきらとして美しいんだとか。
庭に生えていたものらしく、「見せたかったのよ」と嬉しいことば。
そしたら、ほかの受講生の方も「うちにもあるわよ」
「うちも茗荷育ててるわよ」
「じめじめした日かげがいいのよねえ」などと口々に。
じ、人生の先輩だ・・・。

茎を植えれば、にょきにょき生えてくるらしい。
わたしも、来年には植えてみることにしよう(もちろん食用として)。

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「ユリイカ」最新号(2011年10月号)「特集 現代俳句の新しい波」に、

・新作10句 「カニ缶」
・論考「まだ見ぬ俳句へ 高柳重信の多行俳句」

を書いています。
執筆者は、主に俳人以外のひと。
詩人、歌人、歌手、小説家、芸人さんなどが、
俳句について語ったり、作品を発表したりしている希有な本です。
俳句の外から、俳句がどう見えているのか。
それを知ることは、これから私たちが俳句をどうとらえ、
どう考えていくかということに、大きな示唆を与えてくれるはずです。

週刊俳句 第231号(2011年9月25日)に

週刊俳句時評45「総合誌の時代の終焉?これからの俳句とメディア」

を書いています。俳句研究が休刊したことを受けて、
俳句にまつわるメディアの役割について考えました。
インターネットや印刷技術の発達によって、誰でも情報発信ができる今、
個人単位でできることも、たくさんある。
だから、こころざしって、ほんとうに大切だと思います。

もちろん創作するのは一人の作業ですが、
一方で、読んで残していく作業は、人と、みんなとやるしかない。
週刊俳句の時評の担当は、今号で退きますが、これからも、
孤独に俳句をつくるかたわら、自分にできることを考えていきたいと思います。
場所を与えてくださった週刊俳句のみなさま、ありがとうございました。

淡路島での2泊3日俳句ワークショップ
まだまだ募集しています。
締切は過ぎましたが、まだ余裕があるようなので、
連休の過ごし方が決まっていない若者たち、
ぜひご参加ください。華ちゃんとお待ちしています。