2013年7月7日

waiting for Godot
a bite of
ice cream parfait

意訳:ゴドーを待ちながら一口アイスクリームパフェ

七夕は旧暦七月七日の夜の事。今夜は新暦七月七日の夜であって、七夕ではない。そもそも梅雨が明けるか明けないか、星が見えるか見えないか、という今の時期は七夕の星祭に相応しくない。やはり、初秋の星が綺麗な夜の行事である。当然、日本と中国では初秋の季語である。

以上の理由から七夕を詠むわけにはいかなかったが、牽牛を待ち望む織女のモチーフを拝借した。ただ、作中主体が待ちわびているのは、恋人ではなくゴドー。サミュエル・ベケットによる戯曲『ゴドーを待ちながら』で主人公のウラディミールとエストラゴンを待たせ続けて永遠にやってこない謎の存在ゴドーである。今回もやってこないだろう。しかし、これだけでは余りにも恋の甘さに欠けるので、代わりにアイスクリームパフェの甘さを入れてみた。パフェにした理由は、フランス語で書かれた戯曲のテーマにフランス語由来のパフェという語彙が合うと思ったから。

美味しいアイスクリームパフェがあれば、ゴドーを待ちつづける苦痛は軽減されるどころか、たちまち消え失せるであろう。もしかしたら、待っていることさえ忘れてしまうかもしれない。人間は糖分を口にすると、快感中枢が刺激され、脳内でエンドルフィンが分泌される。エンドルフィンは、脳内麻薬と呼ばれることもある物質で、人のこころをくつろがせ、病気への抵抗力を高めるだけではなく、モルヒネ同様に鎮痛と多幸感をもたらす作用がある。また、セロトニンという精神を安定させる神経伝達物質はトリプトファンというアミノ酸(アイスクリームに使われる卵やミルクに入っている)から作られるが、トリプトファンを脳内に入れる役割を持っているのも糖分。

作中主体はアイスクリームパフェを完食したら、待つのをやめて、さっさと帰ってしまうであろうか。それとも、二杯目、三杯目と食べ続けて、永遠にゴドーを待ち続けるのであろうか。ゴドーの欠落は、フランス語で「完全」を意味するパフェによって補えるか。

韻律的には、厳密ではないがいくつかの母音韻を使っているので、読みやすくなっていると思う。なぜ作者が毎回韻律について言及するかといえば、西洋詩は朗読され、謡われることが前提にあるからだ。作者がカタロニアやスロベニアの詩人たちから聞いたところ、欧州の詩人たちの多くは自分たちが吟遊詩人の末裔であると自覚しているそうだ。シンガーソングライターのようなもので、詩祭などで朗読することで未発表作品は発表(初演)されたことになり、詩人の仕事は公衆の前での朗読という「演奏」活動が主であり、詩集はそれらの作品を集めた楽譜のようなものらしい。総合誌での掲載や詩集の出版は二の次なのである。そして、読まれ謡われることが前提にある西洋詩の場合、西洋言語の特質も手伝って、母音や子音などの押韻に関わる修辞が重要視される。他には各行における音節数と拍のリズムである。つまり、韻律至上主義であり、内容よりも重要視される場合がある。

さて、パフェであるが、日本で出されるものは大抵アメリカ式パフェであって、フランスのパフェとは異なる。元々のパフェは、砂糖(シロップ)、卵黄、ホイップクリームを時折掻き混ぜながら凍らせてできるアイスクリーム状の冷菓にソースや果物を添えたもの。また、肝臓のパテを同様の滑らかな形状にしてリキュールで整えたものもパフェという(フォアグラのパフェという料理もある)。アメリカ式のは、細長い容器にパフェ・クリーム、アイスクリーム、ゼリー、ヨーグルト等を断層的に重ねて、上にホイップクリーム、果物、リキュール等をかけたもの。日本では、とんかつパフェ、たい焼きパフェ、納豆パフェ、八丁味噌パフェ等もあるらしいが、ここまで来ると別の料理である気がしてしまう。

ちなみに、作者の好みは京風の抹茶パフェ。「OKU」の町屋MACCHAパフェ、「茶寮都路里」の都路里パフェ、「ぎをん小森」の小森抹茶ババロアパフェ、「福寿園」の抹茶クリームパフェ、「京はやしや」の抹茶パフェ、「中村藤吉」のまるとパフェ、「永楽屋喫茶室」の抹茶パフェ……しあわせ。エンドルフィン分泌、やみません。

2013.7.7