2013年7月10日

slurping iced ramen
in Cocytus
extra-terrestrial intelligence

意訳:コーキュートス冷やしラーメン啜る知的生命体

冷やしラーメンは、一応夏の季語である。「一応」と書いたのは、冷やし中華の派生季語と見ることもできるが、冷やし中華自体が多くの歳時記で季語扱いされておらず、冷やしラーメンに至っては歳時記でお目にかかったことがないからだ。歴史が浅すぎるので、本意や名句がしっかり成立してくるまでは、きちんとした季語としては認められないだろう。但し、山形県の夏を代表する郷土料理なので、全国的な季語として定着する前に地貌季語として先に認められる可能性はある。

冷やしラーメンを知らない読者のために簡単に説明しておく。冷やしラーメンはスープも麺も冷たい和風のラーメン(大半が醤油味)であり、スープも普通のラーメン並みに入っているので見た目はラーメンそのものである。氷を浮かべることもあるし、夏場のラーメン需要の落ち込み対策として有効だという話を聞く限り、夏の季感があることには間違いない。発祥の地は、山形県山形市の栄屋本店とされていて、1952年に初めて発売されたらしい。

山形県以外でも食べられる店はあるが、基本的には山形県の郷土料理であり、日本全国で認知されている料理ではない。無論、欧米圏では存在していない。よって、英語のiced ramenは作者の造語だし、季語ではない。なお、和訳は「そのまんま」であって、全く凝っていない。原句の子音韻と母音韻は訳せなかったので、長音符で何となく代用してみた。

さて、昨日は煉獄のヒトラーにかき氷をやる情景であったが、今日も懲りずに、地獄最下層コーキュートスで氷漬けになっている異星の知的生命体が日本の冷やしラーメンを音立てて啜る、という珍妙な情景を提示してみた。ここまで奇天烈な光景はあの世のVOWネタというべきものだが、亜人種でない限り異星の知的生命体はどんなに知性があっても救済の見込みがなく、獣でもないので、それが行きつくところは地獄であろう。ただ、人間にとっての地獄も、それにとってはそうだとは限らない。ダンテの『神曲』では、地獄最下層コーキュートス(「嘆きの川」の意)には罪人が永遠に氷漬けとなっているが、もし知的生命体が寒冷の星で育ったものならば、コーキュートスに浸かりながら冷やしラーメンを啜ることは、人間にとってハワイのビーチでカクテルを飲むようなものかもしれない。

こういった地獄や煉獄の情景を思い浮かべるのに最適なのは、リストのピアノ曲「ダンテを読んで」。迫力満点であるし、音楽的にも(当時としては)斬新、しかも書法も優れている逸品である。村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で有名になったピアノ曲集『巡礼の年』の「第2年」に収められているので、その小説に釣られて『巡礼の年』を買ってしまった読者なら聴けるはず。小説に出てきたベルマンやブレンデルの演奏も良いが、作者はソフロニツキーの演奏が好きだ。格調高く、知的なアプローチでありながらも、情熱的かつ魔的である。ショスタコーヴィッチの同級生でスクリャービンの娘婿、大ピアニストのリヒテルが「神」と称えたといえば、クラシック音楽愛好家はそれだけで萌えてしまうが、ソフロニツキーが最も得意なのはショスタコーヴィッチでもスクリャービンでも、よく弾いていたショパンでもシューマンでもなく、リストとシューベルト。幻想的な曲には最適のピアニストであった。ちなみに、もっと新しい録音が良ければ、ヴォロドスのウィーンでのライヴがお薦め。

肝心の冷やしラーメンの方であるが、作者が今まで食べた中で美味しいと思ったのは、山形県鶴岡市のあつみ温泉駅からすぐの「矢口食堂」と東京都千代田区の神保町駅からすぐの「ととこ」(つったいラーメン)。後者は食用菊、胡瓜、三つ葉、葱、水菜、柚子皮、メンマ、なると、叉焼、海苔を浮かべた、山形のマルセイ醤油と同地の林檎酢を使用した丸鶏スープに小麦100%の麺。まさに、今の季節にこそ食すべき麺。