devouring Glace Mont Fuji
even after the eruption
the devil within me
意訳:噴火後も富士山型アイスクリーム平らげる心の悪魔は
今回の連載は氷菓ネタと宗教ネタが多くて恐縮だが、昨日言及した宮中晩餐でほぼ毎回提供されている「富士山型アイスクリーム」と「悪魔」を詠んでみた。どうやら「富士山型アイスクリーム」は明治時代からの伝統らしく、主賓が英国女王であろうが、中国の国家主席であろうが、フィリピンの大統領であろうが構わず、サラダと果物の間に出すらしい。食べたことがないので味は分からないが、写真で見た限り、色は基本的にバニラの白で、形はまさに山型という体である。
英語のハイクなので、アイスクリームも英語でMount Fuji Ice Creamとでも書けばよかったのだが、正式名称がフランス語のGlace Mont Fujiなので、それに従った(4音で済むし)。掲句はいつも通り数ヶ所で韻を踏んでいるが、和訳でも「ふ」で頭韻を踏めて幸い。また、原句のdevourを「平らげる」と訳せたので、原句にないニュアンスを付加することができた。もちろん、作者は世界遺産登録を祝っている人間であり、実際には噴火などして崩れてはほしくない。
アイスクリームの起源は、先日書いたかき氷の起源と大して変わらない。古代ローマには雪にシロップをかける原始的な削氷の他に、乳に雪を加えて飲むアイスクリームの原型のようなものがあったらしい。だいぶ後に、フランス王家に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは、グラニテやシャーベットの他にアイスクリームも宮廷に持ち込んだ。硝石を使って人工冷却する技術の賜物である。但し、当時のアイスクリームは現代のような乳ベースでなく、卵白を使ったシャーベットに近かった。19世紀頃になって、卵の他に生クリームや乳を使ったアイスクリームが米国で広がり、世界的な食べ物になった。
日本人で最初にアイスクリームを食べたのは、1860年に咸臨丸で渡米した遣米使節団のメンバー若干名で、サンフランシスコのピーター・ジョブ・ホテルで青年実業家ブルークスに奢られたとされる。半月後には、遣米使節正使・副使も別の船で米国に到着するが、正使の従者柳川當清が書いた『航海日記』によれば、彼らも迎船フィラデルフィア号で「アイスクリン」を食べた。その後、製氷機の普及とともに、米国でも日本でも広まった。日本では、1869年(明治2年)に町田房蔵が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」が最初のアイスクリーム屋とされる。文献によれば、原料が生乳、砂糖、卵黄だけという、単純なカスタードアイスだったそうだが、現代のアイスクリームの二十倍の値段がしたそうで、贅沢品であった。
三十年後の1899年(明治32年)、病躯を人力車に乗せて根岸から神田まで遠出した正岡子規もアイスクリームを食べたそうで、「一匙のアイスクリームや甦る」と詠んでいる。楠本憲吉編著『作句歳時記』によれば、「アイスクリームなるものが初めて詠まれた記念すべき俳句である」とのこと。つまり、アイスクリームを季語として使ったのは子規が初。同書には「その時の文章「ゐざり車」に『妻なる人、氷はいかに、と言ふ。そはわろし。と虚子いふ。アイスクリームは、といふ。虚子、それも、といはんとするを打ち消して、喰ひたし、と吾は無遠慮に言ひぬ』とある」とも書かれているが、食道楽の子規と堅実な虚子の性格が目に見えるようで愉快。それにしても、アイスクリームが国内で販売され始めてから三十年もの間、誰一人アイスクリームの句を作っていなかったとは。