flood of blood
currents current
as of Lent
意訳:血の洪水流れはいまも四旬節
原句のflood of bloodは「血の出水」と訳せば和訳の方は五七五になったが、「出水」という日本的な表現を避け、普遍性と勢いが感じられる「血の洪水」にした。血の場合は季語にはならないが、「出水」だけでは五月雨によって河川や池沼が溢水ないし氾濫することを指し、仲夏の季語となる。梅雨出水、洪水などの傍題もある。また、雪解けによる氾濫は春出水、台風や秋雨による氾濫は秋出水と云う。英語のfloodは、血でなく河川のそれであっても季語にならない。しかし、旧約聖書『創世記』の大洪水(ノアの方舟で有名)やギリシア神話の「デウカリオーンの洪水」に通じるキーワードとなる。世界中に洪水伝説があることから、地球全土を襲うような大洪水が太古にあったと云う説もある(学界では珍説扱いであるが)。
この句の季語はLent(四旬節)。カトリック教会等の主な西方教会において、復活祭の46日前の「灰の水曜日」から「復活祭(イースター)」の前日(「聖土曜日」)までの期間のことである。信仰的にはイエス・キリストの受難を想いながら、祈り、反省し、節制する(信徒によっては食事制限する)時期であり、季節的にも春の暖かさを感じる前の寒さが厳しい時期である(Lentは元々ゲルマン語で「春」を表す言葉に由来しているが、俳諧において立春以降を「春」とする概念に近い)。カトリック教会では四旬節中の金曜日に、キリストの受難を思い起こす「十字架の道行(Via Crucis)」の儀式を行う。捕縛から受難、復活まで15の場面を心に留めて祈りを奉げる儀式であり、復活祭前である四旬節中は15番目の復活の場面を省く。「十字架の道行」の音楽は、聖職者でもあったフランツ・リストによるものが秀逸。なお、作中の時期は、血の洪水の流れが四旬節のままで変わっていないことから、復活祭以後ということが判る。
昨日は体内にある水分の一例として血液を挙げたが、血液も世界各地で愛好されている飲料兼食材である。血液は高栄養の液体であるため、蚊や蚤等の吸血性昆虫や蝙蝠が栄養源として血を吸うのは不思議ではないが、人間の場合、液状の血をそのまま飲むことは少ない。現代では、蛇類や鼈(すっぽん)の血を酒やジュースに割って飲む日本人、海豹等の血を飲むイヌイット(エスキモー)、牛や駱駝の血を飲むマサイ族等くらいである。そして、人間の生き血を飲むのは伝説の吸血鬼くらいである。よって、基本的に、血液はスープなどに混ぜて飲まれるか、固形物に調理されて食われるかしかない。血のスープは世界中にあり、中国やベトナムでは豚や家鴨の血を固めたものを入れたスープは一般的であるし(作者も台湾で飲んだ)、ポーランドには家鴨の血を溶かしたチェルニナというスープがある。固形の食材は種類が多く、豚や牛の血を使ったブーダンやブラッド・ソーセージ、血入りプディング、北欧の血入りパンケーキ、ハンガリーや沖縄にある血液を使った炒め物等、応用範囲は広い。変わったものには、饅頭に死刑囚の人血を塗った「人血饅頭」があり、肺結核に効くとされて中国の浙東一帯に一時流行した(魯迅は短篇小説「薬」でこの非科学的な迷信性を批判している)。
世界中で飲んだり食べたりされている割には、血液の飲食には野蛮なイメージがある。教義的に禁じているユダヤ教、イスラム教、エホバの証人と云った宗教もある。ただ、大半のキリスト教国では血液の飲食を禁じることはできない。なぜなら、キリスト教徒はミサ(礼拝)に行くたび、聖体拝領の折にキリストの血(御血)であるワインを飲むことになるからだ(通常は、キリストの体つまり御体である聖餅・ホスチアをワインに浸して食べることにより、ワインを摂取する)。教派により聖餐の解釈は異なるが、イエスは杯をとり「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えたとされる点で一致している。掲句における洪水のような血の流れはあくまでもイメージであるが、善良なキリスト教徒は神の血を飲むことにより、四旬節における受難と復活を想う。そもそも神の血なればエネルギーは全ての血に優る。