2013年10月8日

こだまなす『俳句とは何か』秋深し

『俳句とは何か』(福武文庫 1989年)は、小説家である小林恭二の編集による俳句評論のアンソロジーである。
内容としては、山本健吉「現代俳句(抄)」、塚本邦雄「百句燦燦(抄)」、高柳重信「偽前衛派」、高浜虚子「虚子俳話(抄)」、尾崎放哉「入庵雑記(抄)」、永田耕衣「山林的人間」、西東三鬼「神戸(抄)」などから構成されている。
この本は、実はつい先日購入したものである(大体知っている内容だったのでこれまで入手する必要性をさほど感じなかった)。
ただ、この本の中に「俳句を分かっている人間を分からなくするのが本書の目的」(「この本を読まれる方に」)という小林恭二の言葉があることを知っていて、それがずっと意識に残っているところがある。

小林恭二の本で、個人的に相当読んでいたのは、『実用 青春俳句講座』(ちくま文庫 1999年)であった。
親本は1988年に、福武書店から刊行されたとのこと。
文庫が刊行されたのは1999年であるから、なんと11年を経ての文庫化ということになる。
私の手元にあるのは、ちくま文庫のもので、これは、おそらく文庫化されて間もないそれをたまたま書店で目にして、購入したものと思われる。

この本の内容は、非常にヴァリエーションに富んでおり、文章を読みながらいくらか疑問に思う部分も少なくなかったものの、いまから思えば、随分と参考になった箇所も多い。
多数の短い評論が収録されていて、それらを読んでいるうちに俳句における歴史や主要な作者の存在を大まかなかたちで把握できるようなところがある。
俳人については、4S、永田耕衣、橋間石、三橋敏雄、高柳重信、金子兜太、加藤郁乎、攝津幸彦、小澤實、田中裕明、岸本尚毅等々、実に様々な作者とその作品が取り上げられている。

小川軽舟『現代俳句の海図』(角川学芸出版 2008年)には、当時の小林恭二のこれらの言説が、一体どれほど若者をはじめとする読者に届いたかどうか心もとない、といった内容の記述が見られる。
しかしながら、本書が、時を経て文庫化されるまでになっている事実を思うと、即効性こそさほどではなかったのかもしれないが、その影響はあまり目立たないとはいえ、歳月の経過と共にじわじわと浸透している部分もあるように思われ、現在となっては、必ずしもその影響については小さなものとはいえないのではないか、という気もする。

小林恭二は、もともと俳人であったが、その後、俳句の筆を折り、小説家となった。
ちくま文庫の『実用 青春俳句講座』を見ると、俳人の小澤實が小林恭二の句の選を、また、歌人の荻原裕幸が、文庫の解説を担当している。
3人の生年を見てみよう。

小林恭二  1957年(昭和32年)生まれ
小澤實   1956年(昭和31年)生まれ
荻原裕幸  1962年(昭和37年)生まれ

小林恭二は、年代的に、まさに、高柳重信などに象徴されるような「文学性」とその後の「ライトヴァース」との中間地点に位置するというか、あるいは、その双方を横断する(跨る)存在といっていいであろう。
こういったところから、『実用 青春俳句講座』のようなタイプの本が生み出される結果となった、といえるはずである。

あと、いま「文学性」と「ライトヴァース」の中間地点と書いたが、そういった要素はその作品からも如実にうかがえるところがある。

貝寄風(かひよせ)や町のあかりもうねるほど   小林恭二

日がさして白い布団に桜散る

手作りのブザーも鳴るや春の虹

恋人よ草の沖には草の鮫

裏口に蚊柱となり立つ父よ

海の月ひとりしあれば泳ぎ見る

芋植ゑて狼(ぬくて)・山猫・象・ゴジラ

天気雨ジャム煮る朝の永遠(とは)なれば

半島の麦一斉に夕焼す

秋麗や黒いバイクが地獄より

俎板(まないた)を地球ころがる寒夜かな

木枯の孵化する朝の理科室や