2013年10月21日

『不穏の書』男心と秋の空

「男心と秋の空」のみならず、「女心と秋の空」ともいうが、これはどちらも正しいものであるそうである。
もともとは、江戸時代に「男心と秋の空」という言い方が生まれ、時代が移るにつれ「女心」の方も用いられる結果となったという。
ともあれ、これらは、どちらも男女の心の移ろいやすさと、秋の天候の変わりやすい性質とを類似のものと見做した表現となる。

フェルナンド・ペソア(1888~1935)は、ポルトガルの詩人。
なんと「70にも及ぶ異名」を持ち、それぞれの人格に成り代わって、詩を書いていたという。

『不穏の書』は、そのペソアの異名である「ベルナルド・ソアレス」という架空のリスボン在住の帳簿係補佐の手になる、膨大な断章を纏めたもの。
架空の人物設定でありながら、これらの断章は、ペソア本人にきわめて近い人物のものといえるはずである。
最初に『不穏の書』が刊行されたのは、1982年のことで、これはヨーロッパの各国で翻訳されることとなった(今回私が手にしているのは、2013年刊行の平凡社ライブラリーの澤田直訳『[新編]不穏の書、断章』)。

これらの断章を読んでいると、おそらく、この詩人は、人間の精神における「一貫性」というものを、単純に信じていなかったのではないかと思われる。
というよりも、そもそも「自己」という概念自体を終始疑っていたのであろう。

本人は、普段目立たずに暮らしていたとのことで、そのように考えると、ペソアはまさにある種の「隠者」といってよさそうである。
生前、1冊の詩集を刊行し、ごく少数の理解者が存在したのみで、1935年に、ほぼ無名のまま47歳で逝去。
その没後、膨大な遺稿が少しづつ刊行されるにつれ、その現代性が評価され、20世紀前半の代表的な詩人のひとりと認知されるようになった。
さらに、母国ポルトガルにおいては、1988年にお札の肖像画にまでなったとのことであるから、なんとも驚く。

そういえば、このような例として、日本でも、鴨長明(1155~1216)や吉田兼好(1283年頃~1352年以後)などといった存在があったな、ということを思い出した。
隠者でありながら、現在では、教科書にも掲載されているわけであり、このように考えると時代や場所が異なるとはいえ、ペソアの例とも通じる部分があるといえそうである。
そういった意味では、西行(1118~1190)や芭蕉(1644~1694)などもまた同様の存在といえるかもしれない。

このように、ある種の「隠者」が、時として、後世においてきわめて傑出した存在となるのは、一体なぜなのか。
閑寂の日々の中において練成される思考や洞察が、やがて普遍性に至るまでの深化を見せる結果となるゆえ、ということなのであろうか。