2013年10月24日

秋蛍こなたに『澄江堂句集』

芥川龍之介(1892~1927)の小説は、割合読んでいたという記憶がある。
印象に残っているのは、「蜘蛛の糸」や「毛利先生」など。
随筆では、「大川にて」あたり。

作者としての気質は、若干詩人的なところがあるのかな、という気も。
例えば、「或阿呆の一生」(1927年)にしても、割合そういった要素が散見される。
この作品は、51の断章で構成されており、亡くなる前に書かれたものということもあって、随分と悲壮な内容となっている。

芥川龍之介の最後の著作といえば、『澄江堂句集』もまたそれに近いものといえるであろうか。
この句集は、芥川の葬儀における香典返しとして配られたという。
内容としては、1917年から1927年の間における全77句が収録されている。
ここに収録された作品は、これまでの作の1000句程の中から、芥川本人の手によって選ばれたものであるという。
しかしながら、約1000句もの作品からたった「77句」のみの収録とは、実に厳選であり、その数の少なさに驚嘆するところがある。
ここまでの収録句の絞り込みは、これまでの俳句史上においても、きわめて稀な例といっていいであろう。
懇意であった室生犀星(1889~1962)によると、芥川は句を「棄てることの名人」だったという。

今回、『澄江堂句集』を読みながら、数年前に『芥川竜之介俳句集』加藤郁乎編(岩波文庫 2010年)が刊行されていた事実を思い出したので、購入して読んでみることにした。
この『芥川竜之介俳句集』には、芥川の俳句作品が、1100句程収録されている。
取り敢えず、通読してみた感想としては、全体的に必ずしも面白くないというわけではないものの、他の著名な俳人たちの句業と比べると、格別優れた内容であるともいい難いのかな、といった印象を受けた。
しかしながら、ここに収録された全句を通読したあとに、再び77句のみの『澄江堂句集』に目を通してみると、それらの句がこれまで以上の光彩を放って見えてくるのには、やや驚くところがあった。
なるほど、「捨てる名人」というのは、こういうことなのか、と納得のゆく思いがした。

また、芥川は、芭蕉を信奉していたとのことで、そういった事実を踏まえると、この『澄江堂句集』の収録数を自らの手で77句と極端に少なくした理由には、芭蕉の「一世のうち秀逸の句三、五あらん人は作者なり。十句に及ばん人は名人なり。」という言葉を強く意識してのものであったと考えることもできそうである。

以下、『澄江堂句集』より。

木がらしや東京の日のありどころ    芥川龍之介

癆咳の頬美しや冬帽子

夏山や山も空なる夕明り

木がらしや目刺にのこる海のいろ

炎天にあがりて消えぬ箕のほこり

元日や手を洗ひをる夕ごころ

白南風の夕浪高うなりにけり

春雨の中や雪おく甲斐の山