2013年10月25日

『鄙唄』を遂へり机上の芒野に

『鄙唄』(書肆山田 2004年)は、詩人粕谷栄市の詩集。
現実の世界そのものの実相を様々な形で寓意的に描き出そうとするこの詩人の作風は、俳人河原枇杷男の作品世界にいくらか近接するものがあるといえそうである。

個人的には、この詩人の詩集『鄙唄』の最後に収録されている「歌」という作品がなんとも忘れ難い。
内容としては、この世界において「詩」を書く行為そのものを比喩的に表現した作品となる。

「誰も知らない芒ばかりの野」を、「馬」に乗って何日もひたすら走り続ける男の存在。
作品は、まさに表現者としての意志と矜持、そして、それゆえの哀しみに満ちている。
透徹した詩心によって描き出される「歌のようなものを信じて、この世で生きる」男の孤愁とその崇高さ。
作品の中における、「三日月」の「微かな光り」が、闇と謎に覆われたこの詩の世界での唯一の「救い」であるように思える。

ともあれ、読むたびに、なにかしら不思議な英気を賦与される思いのする作品である。
今回は、その「歌」の最終部を引くことにしたい。

〈遥かな天の三日月に導かれて、歌のようなものが歌となるまで、虚無のようなものが虚無となるまで、何日も何日も、走りつづけた。〉