2014年12月14日

網走へ行つてきたとふマスクかな

如何に旅宿の地と雖も〈時間〉が堆積すれば自ずから土壌 почва を形成するものである。そして人によっては水が合わないのも当然のことで、ここに都会における所謂「現代人の悲哀」が生ずる余地がある。一方で都会人が洒落たつもりで「悲哀」のポーズを取ることがあるが、それは「悲哀」というほど大それたものではなく、大抵は卑小且つ善良且つ陳腐な自意識が吊るしの服を着て現れたに過ぎない。