2014年12月22日

顔揉んで顔を小さく青畝の忌

もう少し日本語の話をしよう。

わたくしがアクセント等に拘るのは“正しい発音”を広めようと思ってのことではない。外国の方に日本語について訊かれた時に答えられるように備えているのである。

ある学者が嘆息して次のように言っていた。現今の学校制度における日本語教育の問題点として、語形変化や語彙の意味の他は語学的なことを大して扱わないことがある。例えば「仮名遣い」という術語の定義を言える人がどれだけ言えるだろうか、と。

わたくしも同感である。品詞分解をしているばかりではわたくしならずとも古文の授業に飽き飽きするであろう。しかし例えば「あいうえお」が /a/,/i/,/u/,/e/,/o/ (音声記号は概略表記)になったのは実は歴史的に最近のことであると言われれば言葉に対する想像力も掻き立てられるというものである。これは知識を教え込むことではない。日本語ネイティヴに対して日本語を教える際には、日本語は既知のものであるから、既知のものの背後に潜む事柄を“発見”する面白さを味わわせるのが重要である。